「歓待する結婚式」へ(後編/実践編)
――思想史研究者からのあたらしいウェディング・プランの提言
二井彬緒
編集部より
「『歓待する結婚式』へ(前編)――思想史研究者からのあたらしいウェディング・プランの提言」に続き、その後編にして実践編を今回、お届けする。
気鋭のアーレント研究者である筆者が、自身の結婚式において直面した「歓待」の問題とともに、いかにパレスチナの人々と、日本に生きる我々が日常において繋がりうるか、連帯しうるか、その責任=応答可能性を引き受けた具体的な実践が、本稿では語られる。公開に至るあらましについては、本稿の前編を参照いただきたい。(以文社編集部)
――到来者には Oui(はい)と言おうではありませんか。
あらゆる限定以前に、あらゆる先取り以前に、あらゆる同定(identification)以前に。
到来者が異邦人であろうとなかろうと、移民であろうとなかろうと、
招待客、不意の訪問者であろうとなかろうと、他国の市民であろうとなかろうと、
生者であろうと、死者であろうと、男であろうと女であろうと、Ouiと言おうではありませんか1。
――法とは主権の言葉である2。
「歓待する結婚式」
結婚式に〈無条件の歓待〉は可能か?そんなテーマに沿って、実際にウエディング・パーティで以下の4つのことを実践してみた。
①プランナー、司会者への説明とコミュニケーション
②グラウンド・ルールの提示と、その説明としてのウェルカム・スピーチ
③託児サービス、BGMほか
④引き出物
前編に続いて、今回は②、④について説明する。
グラウンド・ルールとウェルカム・スピーチ
プランナーと司会者に、式に対するスタンスを伝えたうえで、列席者にもしマイノリティが含まれた場合、その人が安心して過ごせるように、グラウンド・ルールを設け、その説明としてウェルカム・スピーチを行いたい、と申し出た。このグラウンド・ルールとウェルカム・スピーチこそが、ジャック・デリダの「歓待」の議論を踏まえたものだった。

デリダによる「歓待」の思想
思想家ジャック・デリダは「歓待」を2種類に分けて論じている。一つは「無条件の歓待」、もう一つは「条件付きの歓待」である。前者は相手が誰か、どこから来たのか、何をしてきた/しているのか、そうしたことは何も問わず、文字どおり無条件で相手を受け入れることである。とはいえ、そんなことは可能だろうか。いつでも、誰にでもできることではない。相手は人間なのかそれ以外なのか、どこからきたのか、犯罪者ではないか、人は尋ねてから客としてもてなすか、考えてしまう。もてなす主人側の都合を客側にあれこれつける、これが「条件付きの歓待」である。デリダが目指すのは「無条件の歓待」だ。それはどうしたら可能なのかを追求するため、「条件付きの歓待」の下でどのようなことが起きているのかを辿っていく。
そもそも、歓待hospitalityとは何を示す言葉なのか。言語学者のエミール・バンヴェニストによれば、フランス語で「歓待」を表す「hospitalité」の語源は、ラテン語の「hospes」という合成された言葉に当たる。分解すると「hosti-pet-s」になり「hosti」は「補償、決済による平等観」、「-pet」はアイデンティティや家族の「主」、動詞では「〜できる」といった権力・能力を示す言葉である。よって「hosti-pet」を合わせて、「すぐれて客人歓待を具現する者」という意味になるという3。
ここからデリダは「歓待」とは能力の一つ、権力の一つの働き方なのだと説明する4。つまり、主人側が「歓待」を行う際には権力が働いているということを意味する。例えば、異邦人がやってきた時、主人側はまず主人が属する国の言葉を話すように客に要求する。これをデリダは、客人が受ける「最初の暴力」と言っている。そして、匿名の――名前がない、名字がない、家族がいない、社会的な地位がない、パスポートが、国籍がない――他者には歓待は提供されないことを指摘する。例えば、フランスでアフリカ系移民たちがパスポートを持たないことを理由にフランスにいることを否定されたように、歓待には主人側が出してくる「条件」がつねについてまわる。人が歓待を与えるのは「同定(identify)可能な主体」、それも名前や法によって誰なのか判別でき、同じ言語を喋る者のみなのだ。
しかし、歓待 hospitalitéという言葉自体「すぐれて客人歓待を具現する」こと、つまり完全な歓待(無条件の歓待)の意味を含んでいる。また、人が「主人」という主体になるには、もてなす相手である「客人」という他者がいないと「主人」にはなれない。デリダは「無条件の歓待」と「条件付きの歓待」は根本的に異質なものでありつつ、二つはお互いに不可分なものだとする5。
ほかにも、デリダはカント『永遠平和のために』(1795年)を引き合いに出してこの「無条件の歓待」と「条件付きの歓待」の矛盾を説明している。この文章は、世界における将来起こるだろう戦争を防止し、永遠の平和を樹立するために書かれたもので、テクスト自体が条約のような体裁をとっている。この第2章の中には「永遠平和のための第三確定条項」として「歓待の権利」が挙げられている6。ここでカントは世界のすべての人はあらゆる場所で「歓待」を受ける普遍的な権利を持っている、とする。だが「外国から訪れた人が要求できるのは、訪問の権利であり」、「昔からの住民との交通を試みる可能性の条件を提供するものにすぎない」とされる7。すなわち、移住すること、移民として渡ることは制限されているのだ。カントは列強による諸地域の植民地化に警戒を示しており、その点では非常に先見の明のある文章なのだが、やはりここでも歓待には「条件」が課せられるのだ。このように「無条件の歓待」は構造的に到達不可能なものである。本当は無償で提供したかったものが、国家間の相互的な関係性に落とし込まれる過程、すなわち条約や盟約として法の形で書かれることで、普遍的な歓待は、つねに「条件」に侵食される。国家の法とは、主権者(つまり主人)の言語で書かれた、主人の言葉なのだ。
ウェディング・パーティにおける「主」と「客」
それでもデリダは「無条件の歓待」という不可能なものの到来について考えた。
わたしがわたしとパートナーの友人たち――わたしたちカップルの「世界」をかたちづくってくれている存在――にしたいことも、すべての人に、その存在に感謝と肯定を伝えることだった。
パーティの準備をするなかで思いついたのが、このカントのやり方を真似つつ、真逆のことをやってみることだった。法の中に制限のない「歓待」を書き込んでしまおう。「法」とは要するにルールのことであり、これは主人側が決めるもの(良くも悪くも決めてしまうもの)なのだ。だとすれば「多様な人を歓待するルール」を書いてしまえばいい!そうして「ウェディング・パーティにあえてグラウンド・ルールを設ける」ことにした。
ウェディングの準備中、この「ルールを設けたい」という発言は波紋を呼んだ(わたしだけそう感じたのかも)。これはウェディング業側からすれば当然で、式とは主催者つまり「主人」たるカップルが「客人」たる列席者に「楽しんで寛いでもらう(at homeに感じてもらう)」ために準備するもので、「主客」の関係上「ルール」のような「制限」をかけることは不適当ではないか、と考えるのだ。
伝えた際に「会場にいる方や列席者の方に〈お願い〉をしたい、などといったマイルドな伝え方の方がよかったかもしれない」とも一瞬思った。だが、ルールと称してもこれは「制限」などではない。マイノリティにマジョリティと同等の安全・安心な空間がない。それは事実だ。だから「マイルドな伝え方」に言い換える必要もないはずだとも思う。「ルールを設けたい」と言ったことでわたしの式に対するスタンスがどれだけ切実なのか、十分すぎる形で伝わった様子だったため、結果オーライだと思うことにした。開き直りである。
グラウンド・ルールとウェルカム・スピーチの内容
まず「グラウンド・ルール」とは何か。これは会議など人の集まる場、とりわけ意見の表明や交換が行われる場で、あらゆる参加者が安心して議論に参加できるようにするための前提共有事項や行動規範のことである。最近では会議だけでなく、デモなどの際に冒頭で確認されることもある。
ウェディング・パーティでは、カップルの写真、列席者の席次表、食事やドリンクのメニューなどを小さな冊子にして列席者に配ったりする。この冊子に、グラウンド・ルールを載せることにした。内容としては
・パーティの場には様々な世代、ルーツ、SOGIECS、生き方を選択する人々がいることを意識し、互いを尊重する言動をお願いしたい
・主催者をふくむ参加者の性別やルーツを見た目で決めつけないでほしい
・参加者全員で「みんながここに招待されていて、存在していいのだ」と思える場所をつくっていると思ってほしい
と書いた。
ただし冊子に目を通さない可能性もある。そこでプランナーに相談したところ、ウェルカム・スピーチをわたしが行い、直接ルールについて説明することを提案された。実際、スピーチでは冊子にあるルールを読んでほしいことを伝え、なぜこのようなルールを設けたのかを説明する形をとった。内容としては、プランナーに説明したものそのままである。
このように、グラウンド・ルールを設け、そこにマイノリティを不可視化せず、各人の存在と意思を尊重することを書き込むことで、招待したすべての人に「歓待」を実現できないかと試みたのである。
実際、グラウンド・ルールとウェルカム・スピーチの効果とは、参加者の中にいるかもしれないさまざまな文脈におけるマイノリティの存在を確認することである。言ってしまえば、これは「事実確認」に過ぎないことなのだ。しかし、ルールを読んでもらい、会の趣旨を声に出して補足説明し、確認をとることを通して、社会にはすでに、つねにマジョリティはマイノリティである他者と共に生きていること、そういう人たちはすでに隣人であることを明示的に確認することを狙った8。夫婦別姓制度・婚姻の平等化を支持する人の連帯や、アライへの意志があるマジョリティがそれを言いやすい場を作ることも狙いだった。
他方で、マジョリティのなかで普段、差別や社会問題への関心が薄い人に「居心地の悪さ」を経験してもらうことも効果のひとつとしてあったのではないか。法とは、マジョリティの意見が反映されやすいものなのだ。だからこそ、不可視化されたマイノリティには法による保証、安全性の確保がまだまだなされていない――例えば同性愛者の結婚が認められていないように。その状況を逆転させてみたら、普段は他者に対して無関心な人は「居心地が悪い」と思うだろう。それはこのルールが起こす、意図された「トラブル」だ。なぜなら、その「居心地が悪さ」や「自分の権利が損なわれている」感覚こそ、マイノリティが毎日生きながら感じている「ここにいていいのか、いてはいけないのか」という違和感や不安なのだ。それを普段、感じずに済むというのは、やはりマジョリティの「特権」である。それを伝えるための「トラブル」なのだ。
かといってこのパーティが「無条件の歓待」だったとは言えない。前編の注8でも断ったとおり、あらかじめ招待客は選ばれており、しかもグラウンド・ルールがある――条件付きの歓待である。一方で、デリダは「歓待」は予測不可能なものを到来させると言った。グラウンド・ルールに「歓待」を書き込むと、マジョリティにとって予期しないものの到来を起こすのだ。既存の結婚式のすべてを否定したいわけでは決してない。
既存の結婚式の中身をうまく組み立てなおし、さまざまな人に開かれた結婚式を行いたい、と考えている人は、実は多いのではないだろうか。すでに専門家も一部のところには関わっているのかもしれない。ここまで書いたがわたしのような研究者も、やはりウェデイング事業というものにはずぶの素人である。だがウェディング企業と研究者が相互的に協働することで、開かれたウェデイング・プランを新たに提案することもできるのではないだろうか。コロナ禍以降、個々の式の規模が縮小している傾向にある。新たな試みを取り入れやすい環境にあるようにも思う。続いて、④について説明する。
「ガリラヤのシンディアナ」からの贈りもの
もう一つ、パーティの場に呼び込みたい存在がいた。それはパレスチナの存在である。現在進行形でイスラエルによって受けている虐殺を止めさせ、平和に向けてできることはないだろうか。招待客の生活にパレスチナを呼び込むにはどうしたらいいか。引き出物で家に持って帰ってもらおう、と考えた。そこで用意したのが、パレスチナ・オリーブ社の扱う「ガリラヤのシンディアナ」のオリーブオイルである。全員分は予算上叶わなかったが、列席者の半数には渡すことができた。
「ガリラヤのシンディアナ」はパレスチナ自治区のうち、ヨルダン川西岸地区北部にあるガリラヤ地方とワディ・アーラ地方で活動している団体である。アラブ・パレスチナ人とユダヤ人、両民族の女性が計150名程度、一緒に働いている。パレスチナ女性の継続的雇用や持続可能なオリーブの有機栽培を試みる、稀有な事業でもある9。
パレスチナ関連の商品は近年色々なものがネット等を通して手に入るようになってきている。その中でも、引き出物は「ガリラヤのシンディアナ」のオリーブオイルにしたかった理由がいくつかあった。まず事業が掲げる、両民族の協働という点に、自身の研究テーマとしても共感を持っていたことがある。次に、「ガリラヤのシンディアナ」もまたそれを支えるパレスチナ・オリーブ社も、女性たちの連帯を掲げた団体である。オリーブオイルの購入を通してこのフェミニズム的連帯を支持したい思いがあった。
日本でこのオリーブオイルを取り扱っているのが、パレスチナ・オリーブ社である。パレスチナ・オリーブから直接買うこともできるし、フェアトレード専門店などで購入することもできる。結婚式の引き出物として使われることも多いそうだ。事情により、わたしは都内の各店舗をまわってオリーブオイルを購入し、自分で包装して引き出物として列席者の半数の方にお渡しした。パレスチナ・オリーブ社からはギリギリの連絡にもかかわらず温かいお言葉とともにパンフレットを送っていただき、回ったお店でもとても温かな「歓待」を受けた。ここで改めて、購入したお店の方、パレスチナ・オリーブ社の皆様、そしてなにより「ガリラヤのシンディアナ」のメンバーの方々に、近くから、遠くから感謝と連帯をお伝えしたい10。
オリーブオイルを受け取った方がどれだけその商品をリピートしてくれるかは正直わからないが、こうした取り組みがあること、そしてパレスチナの地で今なにが起こっているのか、少しでも知ってほしいと願っている。実際、ガザは今、想像を絶する過酷さの最中にある。西岸に対する入植も進み、イスラエルによる検閲や攻撃がさらに過激化している。他方で日本では、ニュースでは知っている層、ニュースも見ないためほぼ関心の薄い層とがいることも事実で、そうした人はどのように関心を持つことができるのだろうか。結婚式でそうした未知の他者に出会ってもらえたら、そう思って用意したのが「ガリラヤのシンディアナ」のオリーブオイルだった。実際にどれだけの人が引き出物をきっかけにパレスチナに関心を持つかはわからない。それでも、その人にとってオリーブオイルを自分の家に持ち帰ることは、予期しない存在を自分のキッチンに迎え入れることになる。その予測不可能な、ハプニングのような出会いのために、引き出物を決めたのだった。

「歓待する結婚式」をとおして異議申し立てすること
わたしにとって研究上の大きなテーマのひとつは「場所(place)」である。この言葉について、金賢京はもっとも的確にその意味を説明してくれている。
ここで「場所」という単語は英語の place に対応する。〔…〕この単語は何かが属していたり、いるべきだと考えられる位置を指しもし、誰かが専有できる位置 position を指しもする。このような意味の「場所」を持ちえない人びと、つまり自分たちが属した場所やいるべきだと考えられる場所がどこなのか知りえない人びと、または彼らがいてもいい席、専有できる位置をこの世界の中で発見できない人びとがだんだん増えている。場所喪失 placelessness はかつて特定範疇の人びとにのみ該当する例外的状況と認識されたが、現在はほとんどの人びとに現実的な威嚇として近づいている11。
金が言っているかつて「場所喪失 placelessness」した「特定範疇の人びと」とは、端的にいえばアーレントのような、第二次世界大戦期の難民のことである。しかしその難民のような「例外的状況」は「現在はほとんどの人びとに現実的な威嚇として近づいている」。いや、難民は大戦後もずっといたではないか。そうした反論も事実である。しかし実際、領土をめぐる戦争、気候変動により物資や食糧をめぐる争いがここまで身近になった世界で、難民は遠くにいる存在ではなく、以前よりもいっそう近くにいる存在となった。それだけではなく、国内における状況も政治的、経済的な分断や格差が大きくなり、誰しもがいつ所属や居場所、家を失ってもおかしくない状況にある。それは国内にいるさまざまな属性のマイノリティ当事者がずっと感じてきている不安でもあるはずだ。
今、その「場所」で生きているという感覚を、どれだけの人が持っているのだろうか。今、自分が属していて、ここにいるべきだと思う場所。自分はこの場所を占めていていいのだという感覚。「歓待する結婚式」はこの意味で三つの「場所」を実現させようとする試みだった。
①「自分はこの場所を占めていていいのだ」という感覚を奪われている、身近な場所喪失者に向けて開かれた場所。
②普段、異性愛中心性や自民族中心性に気づかなかったり、場所喪失を経験している人びとがいることを見過ごしてしまう人に、じぶんがその「場所」で誰と生きているのか、気づいてもらえる場所。
③まったく知らない、場所喪失を経験している未知の他者の存在を呼び込む場所。
すべてがうまくいったのかはわからない。しかし、自己満足で終わらないように準備をした。ここで文章を閉じても、現在の「婚姻」における異性愛中心性やジェンダー規範との格闘も、パレスチナ/イスラエルを考える日々も、これからも続いていく。わたしはこれからも、虐殺と戦争に反対するし、夫婦別姓や同性婚が実現される日を願って、抵抗を続けていく。抵抗とは、ここで他者とともに生きることを、生きているかぎり、ずっと続けていくことなのではないか。わたしはそれを、大切な人との関係性において誓った。それがわたしたちのウェディング・パーティだった。

注
- ジャック・デリダ、アンヌ・デュフーリマンテル編著『歓待について――パリのゼミナールの記録』産業図書、1999年、98頁。 ↩︎
- 高秉權著、影本剛訳『黙々——聞かれなかった声とともに歩く哲学』明石書店、2023年、31頁。 ↩︎
- デリダ『歓待について』156〜157頁。 ↩︎
- デリダ『歓待について』156頁。 ↩︎
- デリダ『歓待について』145頁。 ↩︎
- イマニュエル・カント著、中山元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編』光文社古典新訳文庫、2006年、185〜190頁。 ↩︎
- カント『永遠平和のために』185〜186頁。 ↩︎
- よって次のようにも言える。マイノリティや「他者」とは、「歓待」するものではなく、すでに隣で「共生」している。 ↩︎
- パレスチナ・オリーブ社ウェブサイトより(https://www.paleoli.org、2025/07/01確認)。 ↩︎
- 都内の一部の店を手書きで地図にして引き出物の袋に同封した。これもなかなか好評だった。 ↩︎
- 金賢京著、影本剛訳『人、場所、歓待――平等な社会のための3つの概念』青土社、 2020年、275頁。 ↩︎
著者紹介
二井彬緒(ふたい・あきを)
東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム助教。