Contentsを更新しました。今回は、先日のピーター・フレイズの記事(4月7日)に続き『ジャコバン』誌(ウェブ版)より、「マルクスの反植民地主義のルーツについて」と題されたエッセイの訳出となります。
 著者のティエリー・ドラポーはまだ無名の書き手ですが、この記事は読み物として優れている(面白い)のみならず、たとえばデヴィッド・グレーバーが以下に語るような事実をまた別の側面から裏付ける、非常に批評性にも富んだ考察になっているのではないかと思います。

 「私の信念では、思想とは一人の人物から出てくるものではありません。マルクスは、彼の時代の労働運動にまつわる諸々の議論に声を与えた人物でした。彼のものとされる多くの言明は彼のものではありません。(略)われわれが通常、偉大な思想家の考えとみなすものは、その時代の議論や問題の交差点以上でも以下でもありません。活動家、一般人、知識人が出会って話し合う時と場所が形成され、そこではじめて幾世代にもわたり影響力を持つ思想が現れるのです。私はマルクス主義の伝統を軽視するのは間違いだと思います。しかし同時に、ここに偉大な思想家がいて、彼が言ったことはすべて正しく、われわれの任務は彼が言ったことの真の意味を、その解釈学的志向性を突き止めることだといった姿勢は、馬鹿馬鹿しいと思います。」(デヴィッド・グレーバー『資本主義後の世界のために』p. 32)

 目下準備中だというドラポーの初の単著が楽しみです。

 訳出してくださった大畑さん、森田さん、ありがとうございました。