オリンピックの真の試合は、「閉幕」してからこそはじまる

――2026ミラノ・コルティナ五輪について「持続不可能オリンピック委員会」に聞く

 ルーカ(「持続不可能オリンピック委員会」) 

訳・解説=北川眞也

 


 以下は、「Milano in Movimento(運動するミラノ)」のHPに掲載された「持続不可能オリンピック委員会」へのインタビューを訳出したものである(導入部は除く。また、日本語訳版掲載にあたりタイトルを変更した(Ai blocchi di partenza la quattro giorni contro le Olimpiadi: intervista al CIO) )。 

 インタビューに応じているのは、「持続不可能オリンピック委員会」の主要メンバーとして活動してきたルーカである。実のところ、ルーカがミラノ・コルティナ五輪のような「メガイベント」に直面して、その有害性を分析し、その開催に否を突きつけるのは、今回がはじめてではない。ミラノでは2015年に万博が開催されており、かれは「反万博の会1」の中心メンバーとしても長らく活動していたのだ。

 つまりミラノは、「メガイベント」と呼ばれる祭典を餌にしながら、都市開発を進め続けているのである。しかし、メガイベントなるものは、開催期間だけが問題なのではけっしてない。招致をめぐるさまざまな活動、不要なインフラ建設による環境の破壊、開催に向けた労働搾取(東京五輪のときもボランティアの「やりがい搾取」が問題になった)、そして物理的な土地略奪や「立ち退き」などを含めれば、開催「前」の長期に及ぶ期間もまた、万博/オリンピックの時間なのである。

 それは開催「後」についても当てはまる。メガイベントは繰り返し開催都市に債務を残して去っていく。また、メガイベント期間中にさんざん試される「取り締まり」のメソッドが、そのまま各都市で引き継がれる。メガイベントの「成功」、一部の資本にとっての「成功」が喧伝され続け(先の大阪万博を見れば明らかなとおり、巨額の(無駄な)税金投入がまるでなかったかのように「運営費」の黒字ばかりが伝えられる)、そしてメガイベントはその後のさらなる(無意味な)都市開発のための口実となる。

 だからこそ、以下のインタビューの内容が重要となる。このインタビューはミラノ・コルティナ五輪の開会式の前日(2026年2月5日)に公表されたものである。しかし、インタビューの最後にルーカが言うように、「オリンピックの真の試合は、閉幕してからこそはじまる」のである。

 メガイベントにいまや始まりも終わりもない。それは抑揚をつけつつも持続する資本の時間へと一体化している。そして都市、いや都市をはるかに超える領域へとその破壊的影響を与え続けている。とするなら、オリンピックへの抵抗は、単にオリンピックへの抵抗ではない。都市を超えた「惑星」の荒廃、つまりグローバル国家群によるスポーツを介した利潤獲得とその独占に対しての、いまや世界のあらゆる場所で困窮化を突きつけられたこの惑星の民衆たちによる資本主義そのものへの抵抗となろう。


――オリンピックの開幕に合わせて、あなたたち「持続不可能オリンピック委員会」が実施する取り組みについてまず紹介してくれませんか?

 今日、2026年2月5日(木)──オリンピックの聖火がミラノに到着する日でもある──18時から、私たちのプロジェクトは始まります。それを、パレスチナ人との連帯ネットワークや「ガザへのグローバル運動(Global Movement to Gaza)」、そして「民衆のためのスポーツ(sport popolare)」を推進するネットワークとともに行います。イタリアだけに限りませんが、このような連携が多くの都市で、つまりオリンピック聖火が到着し通過するあらゆる場所で、類似したかたちで形成されています。

 私たちは聖火の行進に抗議します。それは、聖火がオリンピックモデル、スポーツビジネス、現代のオリンピックにおいての──私たちが不要であり、持続不可能だと考える──象徴だから、というだけではありません。何よりも、ここにイスラエル国家の選手がいて、国旗があり、代表団がいるからでもあるのです。イスラエルはジェノサイドを進行中の国家であり、「スポーツの祭典」をとおしてそれが正常化されることがあってはならない。

 ちなみにここ最近、たとえば[イスラエル代表の]ボブスレーチームの幾人か数ヶ月前にガザでの[破壊行動の]現場に参加していたことが明らかとなっています。それゆえ、この存在へ抗議するのは必須だと考えています。

 私たちは、2月6日から8日まで、[オリンピックへの対抗イベントである]「ユートピック大会(Utopiadi)」を開催します。

 明日、あるスペースを確保し[公式の開会式場近くのパラシャープ(PalaSharp)という放置されたままのスポーツ施設を占拠]、それから3日間、このスペースは闘争中のコミュニティの抵抗の場ともなるのですが、他方で、3日間、民衆のためのスポーツの場としても開放されます。この都市で放置されたままの数多くの公共の場所のうちのひとつを取り戻し、そこが[オリンピックとは別の]ボクシング、サッカー、ラグビー、柔道、ダンスなどの練習・実演・試合の場所となるのです。

 ユートピック大会は、街中の広場でさらなる予定を立てています。オリンピックの開幕に合わせてこちらの大会の方も「開会式」を行いますが、その前段階として午前中、ロレート広場で部門横断労働組合(SI Cobas)、自己組織労働者組合(Sial Cobas)、底辺統一同盟(Cub)などの労組といっしょにホテルチェーンによる搾取を告発するつもりです。この搾取は、「ミラノ・モデル」[ミラノに顕著な都市開発のあり方]、そして都市のツーリスティフィケーションの柱のひとつをなしているものです。

 また18時からは、サン・シーロ地区でデモを予定しています。セジェスタ広場脇のマーレ・ヨニオ通りに集合して、ユートピック大会の開幕を実質的に告げる反オリンピックの火の行進[発煙筒などを炊く]を行います。サン・シーロ地区を移動するのは、オリンピックの開会式が行われるスタジアム[ACミランとインテル・ミラノのサッカー場として知られるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ]に近いというだけではなく、新スタジアムに関連する再開発プロジェクトが、この都市のもっとも重要な庶民的地区の未来を危険にさらす可能性があるからです。

 翌日の土曜日ですが、おそらく街ではオリンピック[選手]のトレーニングや宣伝活動が行われるでしょうが、一方で全国デモがはじまります。これは民衆のデモ行進であり、活気に溢れ決意に満ち、喜びに包まれたオープンなものになるはずです。このデモは、ミラノで予想される再開発によってもっとも打撃を受けると予想される地区へ向かって、オリンピック・モデルへの抗議と批判を伝えようとするものです。

 とりわけミラノ南東部、特にコルヴェット地区では選手村が建設されており、その近くにはサンタ・ジュリア・アイスホッケー・アリーナも建設されています。このデモは「ミラノ・モデル」を告発し、2015年のミラノ万博のあとにも生じたように、この地区がジェントリフィケーションの次なる標的とされるのを阻止しようとするものなのです。

 この金曜日と土曜日両日には、ユートピック大会の夜間イベントも開催され、最終日となる8日の日曜日には、サッカーの大会やボクシングのグランド・ガラ(gran gala=賑やかなお祭り)などのスポーツ行事とともに、このユートピック大会は有終の美を飾る予定です。

――あなたにとって、この大規模イベントの背後に隠れている、もっとも不合理な事柄を、たとえば3つほどあげていただけますか?

 今回の五輪のように、持続不可能かつ不要なオリンピックについて、それを3つの事柄に還元するのは簡単ではありませんが、まず第一に、ミラノにおけるオリンピック関連施設、要するに選手村とパラ・イタリア[サンタ・ジュリア・アイスホッケー・アリーナ]の問題が挙げられるでしょう。こうした施設は、その建設に関わっているCoima社[機関投資家を代表して不動産資産の投資・開発・管理を行う企業]やDeloitte社[国際オリンピック委員会 (IOC) のパートナーでデジタルサービスの管理を統括]などの民間企業を利する私的施設なのです。この民間[=私的]企業に多額の公共投資がなされているのです。

 結果的に公共の利益はごく小さなものになるでしょう。選手村の後に使われる学生寮にいくつか低価格帯のものが用意されるぐらいのことになると思います。もともと「費用ゼロ」を謳われたオリンピックのはずが、いまや公的費用が50億ユーロ[約9,135〜9,136億円(2026年2月下旬時点)]を突破し、さらにその利益のほとんどは民間[=私的]企業へと流れ込むことになったという話です。

 2つ目は、環境面の持続不可能性です。気候危機に取り組むために、良識のある政策路線に沿って、オリンピックは環境負荷ゼロでなければなりませんでした。しかし逆に、自動車による「モビリティ・モデル」のもと、化石燃料に依存したインフラ工事を、私たちは目の当たりにしてきました。

 森林は破壊、伐採され、山の斜面、山頂までも切り開かれ、新しい施設や人工降雪用貯水池が建設されてきました。持続可能性をめぐるグリーンウォッシング[環境に配慮しているように見せかけて、消費者や顧客をごまかすこと]は全面的なものです。それは、武器製造販売企業のLeonardo社[イスラエルなどへの武器給与で批判される大手防衛企業]については言うまでもありませんが、Eni社[化石燃料事業で知られる総合エネルギー大手企業・石油メジャー]がメインスポンサーに含まれていることでも確証されています。

 3つ目は、大規模イベントを利用して、またしても「[嘘の]約束による経済」を推進していることです。つまり、2015年万博の後も「ミラノ・モデル」を継続できる、それを再活性させるという約束。数十億規模[日本円で数千億〜1兆円]のイベントであるにもかかわらず、1万8,000人のボランティアが無償で労働するという約束[オリンピック期間中、この1万8,000人のボランティアに1日1万円の日当を支払っても、総計50億円にも満たない]。そして山岳地域に富をもたらすという約束。ウィンタースポーツや有害なツーリズムのために[新たな]山岳を利用することが、今日ではどれほど不要なことかが明らかとなっているにもかかわらずです。

 山岳の生態系は脆弱です。気候変動は、新たなスキー施設やスキー場間へのアクセス路を建設し続けるのではなく、こうした方向から転換する必要性を示唆しているのです。

――かれらが言うところの、安全を確保するための都市のミリタリゼーション(軍事化)についてはどう考えますか?

 都市のミリタリゼーションは、大規模イベントがもたらす必然的な帰結です。私たちは万博とサッカーのワールドカップですでに目の当たりにしました。オリンピックもまた同じものでしかありえないのです。パリ[2024年夏季五輪]ですでに起こったように、そしてロサンゼルス[2028年夏季五輪]で準備が進められているように。

 新型コロナウイルスの流行以前から、オリンピックが開催される地区では、まず立ち退きのプロセスがはじまり、そして監視装置もつぎつぎと設置されはじめるわけですが、当然ミラノでも同様でした。オリンピックという装置は、対象地域がオリンピックのイメージ、つまり成功、美しさ、運動能力の高さ、そして可能なら「白人」のイメージと、美的観点からも「適合」するよう求められているからでもあります。

 ここ数ヶ月のあいだ、都市の全域、とりわけオリンピック施設に近い地区では、警察の存在感が増しています。たとえばコルヴェット地区では、明らかにレイシャル・プロファイリング[見た目や出自に基づいて犯罪捜査などを行う人種主義的慣行]を特徴とする取り締まりがなされています。

 この地区では、この1年半のあいだに、外国人(第一世代、第二世代、第三世代のすべてに渡って)が警察官ないしは憲兵隊によって殺害される事件が発生していることを忘れるわけにはいきません。

  こうしたミリタリゼーションは予想できたことでしたが、悪影響を及ぼしています。今日のイタリアに漂う雰囲気、つまり権威主義の増強と「強硬手段」への渇望によって、一段とひどいものになっています。

 新たな治安維持部隊もやってきました。[ICE(米国移民・税関捜査局)のような]国際的部隊については言うまでもありません。私たちは、こうした部隊がオリンピックの後もとどまり続けるのではないかと懸念しています。しかしこの点について、市長は沈黙したままです。

――2015年ミラノ万博と2026年ミラノ・コルティナ五輪、その共通点は何でしょうか?

 基本的な違いは、万博はミラノ一帯だけのイベントでしたが、オリンピックは、莫大な費用を要したミラノの2つの巨大施設が中心とはいえ、400キロメートルに及ぶアルプスの山々でも開催されることです。

 一方、共通点は明らかです。それはこうしたイベントの政治的な利用の仕方であり、イベントが引き起こす動きについてもです。

 2015年の万博の前に、私たちはこう言いました。万博は、「債務、コンクリート[環境破壊]、プレカリティ[労働/生活の不安定性]」をもたらすだろうと。「ミラノ・モデル」は、今もなおプレカリティを餌にしています。物流業から飲食業、公共サービスから医療・教育に至るまで、この都市を支えている人びとに対しては、家も屋根も満足に与えていません。

 そして至るところにコンクリートがみられるようになりました。ここ10〜15年のあいだに、ミラノでは残忍なやり方で[不要なインフラ建設による]コンクリート化が進んできました。この数ヶ月、司法関連のニュースがこの件について取り上げているのも偶然ではありません。

 債務はオリンピックによってさらにひどいものとなるでしょう。教育、医療、年金、地域公共交通、住宅、水土砂災害対策にかける「お金がない」と毎月繰り返し言われている状況で、さらに公的財源に莫大な債務をもたらそうとしているのです。にもかかわらず、大規模イベントにかける資金はいつも確保されます。これは軍事費についても当てはまります。

 万博と同様、オリンピックも、グリーンウォッシング、そしてレンダリング[画像・映像の生成・描画]、「魅力ある都市」というイメージ操作、マーケティング、学校やスポーツ団体から得たコンセンサスなどを駆使して、経済・社会・環境面におけるその持続不可能性を、このような作り上げられた物語で覆い隠しています。

 けれども、実際にはこのコンセンサスは、喧伝されているよりもはるかに小さなものです。

 万博が「ミラノ・モデル」を確立したのだとすれば、オリンピックは、それを存続させさらに活力を与えるという目的を有しているはずです。とりわけ、「ミラノ・モデル」自体が直面している明白な危機の後においてはなおさらです。しかし、この都市はよりいっそう独占的で排他的となっており、高収入を得ているか大きな資産を持っていなければ住むのが困難な街となっています。

――このオリンピックは山岳地域にどのような影響を与えているのでしょうか? 2006年トリノ冬季五輪[同じくイタリアでの開催]の失敗からは何も学ばなかったということでしょうか?

 何も学んでいません。トリノ・オリンピック2は何も教えてはくれませんでした。

 トリノ・オリンピックのために建設された施設──放置され老朽化していたとしても──を利用することもできたはずです。たとえば、ジャンプ台やボブスレーコースなどです。しかし、事態は正反対の方向へと進みました。新しい施設の建設に固執したわけです。

 ボブスレーコース、プレダッツォのジャンプ台改修、アンテルセルヴァのバイアスロン競技場改修、ロー・フィエラの期間限定のアイススケート場、サンタ・ジュリア・アリーナなど、[今回のオリンピックで新設された]すべてを掛け合わせると、数億ユーロ、おそらくは10億ユーロ[約1,820〜1,830億円(2026年2月下旬時点)]もの資金が費やされたことになります。

 こうした施設の新設(特に最初の3つ)は、あえてイタリア[国内の問題]に限定して言いますが、たった数十人の選手のためにやっていることなのです。ここにおいてまたしても、施設の巨大化(gigantismo)と浪費が結びつくのです。

 ともかく、何よりもまず、今日、山岳とどのように関わるべきであるかということについて何も学ぶことができていないことが問題です。

 競技スキーにせよ、「レジャー」のスキーにせよ、スキーは人類史におけるごく最近の習慣です。降雪量がますます減っているにもかかわらず、アルペンスキーを基盤にした冬季の山岳利用モデルをひたすら維持しようと考えるのは馬鹿げています。

 イタリアでは、スキー場の90%が人口降雪に頼って運営されています。運営会社の収支は、国、州、県からの公的資金の投入によって救われるようになっています。

 そして人工的に雪を降らせるには費用がかかります。環境(水、土木工事、施設)、経済(エネルギー)、労働といった面において、コストがかかるのです。

 加えて、現代の人工降雪システムは、摂氏ゼロ度以上においても雪の製造を可能としています。この点で物理学的な観点から意見が分かれることはないでしょう。つまり、ゼロ度以上であれば、水は水のままなわけですね。この条件下で雪を製造するためには、水を変質させる物質や添加剤を使用していることになるわけです。

 オリンピックはこうした、まさしく取り除く必要があるはずのものを山岳へと持ち込んでいるのです。新しい施設、新しいアクセス路、そして山岳部でも都市部と同じような快適さと消費の基準を求める、といった有害なツーリズムのモデルです。

 これこそが、大都市そしてこの惑星のすべての「魅力的な」場所を荒廃させてしまうグローバルなツーリスティフィケーションそのものです。

――オリンピックをめぐって起こっていることを告発し、この数日のあいだに行われる[あなたたちによる]取り組みに参加することはなぜ重要なのでしょうか?

 多くの理由で重要です。何よりもまず、地域、そしてそこに住まい、そこで生きる人びとはモノではないことを主張するためです。私たちの生活はゲームではありません。自分たちの意見を表明できる機会もないまま、押し付けられる大規模イベントと大事業にうんざりしています。

 近年のオリンピックをみれば明らかです。実質的な競争なしに開催地が決定されるようになっており、たとえば実際に[招致をめぐって]住民投票が行われた場所では、ことごとくオリンピックの招致は否決されているのです。

 ミラノではこれ[住民投票の実施]を行うことができませんでした。

 そして今日、気候変動や環境危機、戦争、そして社会的・経済的にも[世界中が]危機に直面しているなかで、これまでと同じやり方を続けることの無理は明らかなのです。

 スポーツの祭典をどうしても開催したいのなら、既存の施設を使うべきです。あるいは必要に応じて、もっと多くの国にまたがって行うべきです。オリンピックが祖国や国民の祭典であるのはおかしいでしょう。ナショナリズムは乗り越えるべきなのです。国境のないスポーツのお祭りであるべきです。

 この数日間、デモや集会に参加するということはつまり、約束と嘘について、持続不可能性について、そしてこの大会が残すことになる社会・環境面の費用を誰が支払うのかについて、説明を求めることでもあります。

 私たちはこの代償を払いたくありません。特に、施設の巨大化(gigantismo)と今後数十年にもわたって傷跡を残すだろうそれら施設の失敗の代償を払うのが地元のコミュニティ、とりわけ山岳地域の小さなコミュニティであってはなりません。

 もちろんミラノ[市]の問題もあります。選手村、そのエリアの一部は大会後に学生寮になるのですが、それについて抜本的な議論を進めることが重要です。4つの部屋は「低価格」で、残りすべての部屋は月額1,000ユーロ[約18万1,000〜3,000円(2026年2月下旬時点)]以上、というよくある学生寮にしてはいけません。

 そして、そのエリアの残りの部分を、プラダ社、Coima社、Covivio社[フランスの不動産投資信託会社]、つまりポルタ・ロマーナ鉄道操車場跡地を買い取った企業が儲けるための投機的プロジェクトとして使わせてはならないのです。

 それゆえに、デモや集会に参加するだけではなく、オリンピック期間のあらゆる[私たちの]取り組みに参加することが重要なのです。  なぜなら、いつも言っているように、私たちは、オリンピック[パラリンピック]が3月半ばに幕を閉じることには関心がないからです。つまり、オリンピックの真の試合は、「閉幕」してからこそはじまるのです。この持続不可能なイベントによって破壊された地域の将来が決定されようとするとき、まさにそこから始まるのです。


  1. ミラノの「反万博の会」については以下。https://antigentrification.info/2017/09/02/20170831ks/ ↩︎
  2. 2006年のトリノ・オリンピックが都市にもたらした困難については以下に言及がある。https://antigentrification.info/2019/12/13/20191213ks/ ↩︎

訳者紹介

北川眞也(きたがわ・しんや)

1979年生まれ。三重大学人文学部准教授。専門は政治地理学、境界研究。著書に『アンチ・ジオポリティクス——資本と国家に抗う移動の地理学-』(青土社、2024年)、『交差するパレスチナ——新たな連帯のために』(共著、新教出版社、2023年)、『惑星都市理論』(共著、以文社、2021年)など。訳書に、サンドロ・メッザードラ『逃走の権利——移民、シティズンシップ、グローバル化』(人文書院、2015年)、フランコ・ベラルディ(ビフォ)『ノー・フューチャー——イタリア・アウトノミア運動史』(共訳、洛北出版、2010年)がある。