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【連載/第1回_前編

誰がパリ五輪に抵抗しているのか ?

 

Qui luttent contre les Jeux Olympiques 2024 de Paris ?

 

 

 

佐々木夏子

 

 

「政党」(前編)

 

1.  社会党(Parti Socialiste)

 パリ市長を2期(2001-2014)務めた社会党のベルトラン・ドラノエの後継者として、同じく社会党のアンヌ・イダルゴが2014年統一地方選挙のパリ市長選に出馬した。イダルゴは選挙戦中にフランスのテレビ放送で、パリへの五輪招致に「どちらかといえば否定的な見解」をこのように示している。

 

私はスポーツもオリンピックも好きですが、条件が整わなくてはなりません。(…)オリンピックには巨費が必要とされます。招致活動にもお金がかかります。それに費用のかさむオリンピックは時代遅れだと私は考えています1(注1)https://www.leparisien.fr/paris-75/video-jo-2024-hidalgo-pas-favorable-aujourd-hui-a-la-candidature-de-paris-04-03-2014-3642131.php

 

 この発言から約1ヶ月後、接戦を制してイダルゴはパリ市長に就任した。同年5月末、就任後初の外遊先となったニューヨークで行われた記者会見でも、彼女はこう発言している。

 

私はスポーツが好き、スポーツ競技大会が好きです。そうしたものが社会や都市に与える夢や活力について私は知っています。(…)でも現在、私たちには財政・予算上の制約があり、そのため私は招致活動に乗り出すことができないのです2(注2)https://www.francetvinfo.fr/politique/jo-2024-a-paris-anne-hidalgo-est-dubitative_610685.html

 

 イダルゴのこうした見解は、ごく真っ当かつおそらくもっとも広がりを持つと思われるオリンピック招致慎重論ないしは反対論である。オリンピックには金がかかる。ピリオド。これ以上の議論を展開することなく、この一点のみを争点として五輪の招致が撤回されたり、招致前の段階で計画が頓挫したりした例は枚挙にいとまがない。
 
2024年大会の招致に乗り出した都市の中では、ボストン、ローマ、ブダペストがこの例に当てはまるだろう。ボストンにおいては、元マサチューセッツ州知事(2003-2007年)および2012年大統領選挙での共和党大統領候補だったミット・ロムニーが招致活動を支持したものの、彼をして『フォーブス』誌上で「オリンピックが金もうけの機会となることなど断じてありえない」3(注3)https://www.forbes.com/sites/johnclarke/2013/11/01/mitt-romney-backs-boston-olympics-but-warns-it-wont-make-money/と発言する始末だった。

  しかし2015年に入ってから、アンヌ・イダルゴは五輪招致への意欲を明らかにしていく。2015年4月5日付の日刊紙『ル・パリジャン』のインタビューで、招致を目指すフランスのスポーツ界による「真摯な仕事ぶり(travail sérieux)」と、2015年1月のシャルリー・エブド襲撃事件後にフランス社会に必要とされる「連帯感を高めるプロジェクト(projet fédérateur)」の二つの要素に言及し、「パリのほとんど全ての区〔20区中19区〕がオリンピック招致に好意的であることを嬉しく思う」と語った4(注4)https://www.leparisien.fr/archives/anne-hidalgo-jo-2024-une-grande-consultation-en-2016-05-04-2015-4666187.php。そしてこのインタビューから3ヶ月も経たずして招致委員会が発足し、イダルゴはその主要メンバーに収まるのだった。

  彼女の変節の背景には何があったのか?
 
当時のフランスは社会党政権であり、フランソワ・オランド大統領、マニュエル・ヴァルス首相をはじめとする大物がパリへの五輪招致に肯定的で、イダルゴの慎重論の方が党内少数派であったことは秘密でも何でもなかった。その後、欧州を襲う「パソック化〔ギリシアで全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が消滅したように、2010年代に欧州各国で見られた社会民主主義政党が追いやられる現象〕」の波に飲まれてフランス社会党が一気に勢力を低下させる中、パリ市長という重職に就くイダルゴの影響力が党内で高まることになるのだが、そうなるまでまだ2年を残していた2015年時点の政治力学においてイダルゴが「折れる」のは時間の問題だったといえよう。
 もう少し細かく見ていくと、イダルゴは当初オリンピックよりも2025年の万国博覧会の招致に「関心(=利権)があった」のだが、そちらの実現可能性に黄信号が灯るようになって五輪に乗り換えた、という事情もある(そしてフランス政府は万博への立候補を取りやめ、大阪万博が決定する)5(注5)https://www.latribune.fr/actualites/economie/france/20150212tribe2994517a/pourquoi-anne-hidalgo-va-soutenir-les-jo-a-paris.html

  しかしイダルゴが政治家として上記の理由を変節の根拠に挙げるようなことは、もちろんない。約1年間にわたりメディア上で「オリンピックには金がかかる」という極めてスタンダードな慎重論を展開してきた手前、前言を翻す上では政治的正当性を備える何がしかの根拠が必要とされた。そして実際にイダルゴが披露した五輪擁護論は彼女一人の思いつきに属するようなものではなく、左派がオリンピックに賛成する上で国境を超えて普遍的に見られるものなのである。

  本稿は以下で、曲がりなりにも左派に分類される政治家であるアンヌ・イダルゴが、当初自ら否定的であったオリンピック招致というプロジェクトへの支持を得る上で展開してきた議論と、フランスの各政党の反応を見ていく。先に結論を述べておくと、フランス共産党は当初から積極的賛成、ヨーロッパ・エコロジー=緑の党は反対ののち消極的(または戦略的)賛成に回った。不服従のフランスという左派ポピュリストの政治運動6(注6)もちろんポピュリズムの定義は多様であり、不服従のフランスがポピュリズムに該当するかについても様々な議論があるが、同運動をポピュリズムに分類する分析は確実に存在しており(Manuel Cervera-Marzal, Le populisme de gauche : sociologie de la France insoumise, 2021, La Découverteなど)、本稿はその立場をとる。
 また不服従のフランスは厳密には「政党」ではなく「政治運動」なのであるが、その実態は限りなく政党に近いため、分析上は政党として扱う。
では一部が反対に回ったものの、大勢はオリンピック自体を政治課題とすることを回避した。また右派の諸政党はさまざまな側面でイダルゴを攻撃することはあっても、五輪開催に異議を唱えることはない。

  先述の通り、イスラム過激主義のテロ事件直後という文脈で、「オリンピック以上にフランス国民の間の連帯感を高められるものはない」という、あまりにナイーブかつ機会便乗的とすらも言える根拠をイダルゴは持ち出していく。しかしこの空虚なことばをそうであるがゆえに考察の対象から退けてしまっては、それが彼女の口から出てくる理由も見えなくなってしまう。

  フランスが自国開催のサッカーW杯(1998年)で果たした初優勝の記憶は、ある世代の読者にはまだ鮮明に残っているのではないだろうか。
 
同大会は日本代表が初参加した(そして惨敗した)サッカーW杯ということもあり、日本での注目度は非常に高かった。その決勝戦でフランスはブラジルを3-0で下し、2点を入れたジネディーヌ・ジダンは国民的英雄となり、シラク大統領の支持率は上がり、シャンゼリゼ通りには60万人もの群衆が集まったのである。この前代未聞の全方位的お祭り騒ぎで当時散々使われたことばが「Black-Blanc-Beur(ブラック・ブラン・ブール)」であった。Blackは黒人、Blancはフランス語で「白」という意味で白人を表す。最後のBeurは、アラブ人(Arabe)の「逆さことば(verlan)」である。
 フランス社会を構成する三つの主要な人種が代表チームで「表象」されているさまだけでなく、シャンゼリゼに集った多文化・多人種のフランスも表しているとして、当時「Black-Blanc-Beur」は使い倒された。パリ郊外のクリシー=ス=ボワで17歳のアラブ系の少年と、15歳の黒人の少年が警官によって死に追いやられたことをきっかけに、フランス全土の郊外で暴動が起こるのはそれから7年後のことである。それからさらに10年を経て、イスラム過激主義のテロ事件が2015年だけで2度発生する。

  サッカーやらオリンピックやらで発露されるナショナリズムで束の間の人種間連帯を実現したい、ということであれば、これほど浅はかな発想もないだろう。しかし私が20年以上前の記憶を呼び起こしてここで確認しておきたいのはその浅はかさではなく、身も蓋もない以下の事実なのである。
 
フランスにおいてスポーツは、学術や文芸やアートやショービジネスやジャーナリズムや経済や政治やその他ほとんどあらゆる耳目を集める活動と異なり、人種的マイノリティ7(注7)アメリカやイギリスと異なり、フランスには人種統計というものが存在しない。そのため人種がらみの統計調査というものは原則的に不可能なのだが、社会調査などでは姓名や親の国籍が使用される。、もっとはっきり言ってしまうと「アラブ人と黒人」によってかなりの部分が支えられている数少ない領域の一つである。
 フランス社会にはオバマやビヨンセやオプラ・ウィンフリーに匹敵する存在は見当たらないけど、キリアン・エムバペはいる。そしてそうである以上、オリンピックなどスポーツメガイベントに反対するという身振りは、「アラブ人と黒人」からの支持がほとんど得られないことを覚悟しなければいけない。そして21世紀初頭のフランスで、左派にその覚悟が備わることは極めて稀であるのだ。

  パリ首都圏で「アラブ人と黒人」の人口が集中するとされているのが、パリの北東に位置するセーヌ=サン=ドニ県である。同県は、カリブ海やインド洋の海外県をのぞくフランス本土において最も貧しい県であり(2021年時点)、県民の30%が貧困線以下にあるとされる8(注8)https://www.leprogres.fr/economie/2021/05/25/dans-quels-departements-les-francais-ont-ils-le-meilleur-niveau-de-vie#:~:text=A%20l’autre%20extr%C3%A9mit%C3%A9%20du,qui%20flirte%20avec%20les%2030%25.
 
都市別に見ていくと、フランスで最も貧しい20都市の内7市がセーヌ=サン=ドニ県内にあり、その内パリ市と県境を接しているのは、18区に隣接するサン=ドニ市と、19区に隣接するオーベルヴィリエ市の2市である9(注9)https://actu.fr/societe/seine-saint-denis-a-aubervilliers-pres-d-un-habitant-sur-deux-vit-sous-le-seuil-de-pauvrete_37745242.html
 そして2024年パリ五輪関連施設の建設計画はこの二つの市に集中している。そういうわけでオリンピック招致活動において、パリ市を囲む環状線道路を超えたすぐ先にある貧困地区の再開発が大々的に謳われていくのである。招致委員会発足に先立つ2015年3月の時点で、アンヌ・イダルゴはすでにこう発言している。

 

その多くが若く、親が外国出身である住民。社会参加を望んでいるけれど、自らが置かれた苦境について私たちにメッセージを送っている住民を擁するセーヌ=サン=ドニ県は、戦略的に重要な地域です。(…)オリンピックのような大規模な大会を通じて、住民を巻き込む形での地域変容を達成するために、やれることはたくさんあるでしょう10(注10)https://www.leparisien.fr/paris-75/jo-2024-hidalgo-croit-a-l-aventure-paris-seine-saint-denis-12-03-2015-4598225.php

 

 セーヌ=サン=ドニ県再開発はパリ五輪において極めて大きな比重を占めている。この「オリンピックによる貧困地区改善」にモデルを提供したのは、直近の過去大会である2012年のロンドン五輪だった。
 
同大会を招致したのは、2000年から2008年までロンドン市長の任にあった労働党のケン・リヴィングストンである。トニー・ブレアの提唱する「第三の道」が支配していた当時の労働党にあって党内最左派のポジションにあり、「赤いケン(Red Ken)」と呼ばれたリヴィングストンは2008年に以下のように発言している。

 

私は何も3週間の運動会のためにオリンピックを招致したのではない。私がオリンピックを招致したのは、それがイーストエンド〔ロンドン東部の貧しい地区〕開発のために、土壌を浄化し、インフラを整備し、住宅を建設するために、政府から数十億ポンドを引き出す唯一の手段だからだ11(注11)https://www.standard.co.uk/hp/front/ken-livingstone-admits-he-only-bid-for-2012-olympics-to-ensnare-taxpayer-billions-to-develop-east-end-7290494.html

 

 この発言の「イーストエンド」を「セーヌ=サン=ドニ」に置き換えれば、同県のあらゆる党派の政治家の発言としてそっくりそのまま通用する。そしてイーストエンドの再開発が結局のところジェントリフィケーションに他ならなかったように、セーヌ=サン=ドニの住民も数々の困難に見舞われることになるのである。

 

 

2.  フランス共産党(Parti communiste français)

  サン=ドニ市もオーベルヴィリエ市も2020年まで共産党市政であり、両市とも早くからオリンピックに積極的であった。
 
本連載の「序」で、パリがこれまでに何度も五輪招致を目指してきたことを確認しているが、2008年および2012年の招致計画でも両市には重要な関連施設の建設が予定されていた。1998年のサッカーW杯を契機としてサン=ドニ市に建設されたスタッド・ド・フランスは、どちらの招致計画においてもメイン会場となっている。結果、パリにオリンピックを招致するあらゆる計画はこのスタジアム近辺の再開発を伴うのだった。

 2024年大会に向けてサン=ドニ市には、選手村と、飛び込み・水球・アーティスティックスイミングの競技会場となるオリンピック・アクアティクスセンター12(注12)オリンピック・アクアティックセンターについては以下のページが詳しい:https://zacsaulnier-jop2024.metropolegrandparis.fr/projet-olympique/le-centre-aquatique-olympiqueが建設される。同センターの総工費は当初9000万ユーロと見積もられていたけど、2020年4月の時点で1億7470万ユーロまで膨れ上がった。これからも膨らみ続けることだろう。
 
2012年大会の招致計画ではメイン水泳会場はオーベルヴィリエ市に建設される予定だったが、2024年大会ではスタッド・ド・フランスの真向かいという立地になった。割りを食ったオーベルヴィリエ市をなだめる形で、パリ五輪の競技会場とはならないがアスリートが練習に使用するオリンピックサイズ・プールの建設をオリンピック会場建設公社(Société de livraison des ouvrages olympique)は提案し、総工費3000万ユーロの内、1000万ユーロを同公社が負担することになる。
 このオリンピック練習用プールが建設されるのは、地下鉄7番線・オーベルヴィリエ要塞駅(Fort d’Aubervilliers)の真横である。2008年の招致計画では自転車競技場の建設予定地となっていた。同地には一世紀近くの歴史を持つ労働者向けの市営の菜園があり、2021年に入ってからパリ五輪に関連する最も激しい政治闘争が繰り広げられることになる(この菜園防衛闘争については本連載第5回で取り上げる予定である)。

  こうした建設計画を積極的に推進したのが、サン=ドニ市長(2016-2020年)のローラン・リュシエや、オーベルヴィリエ市長(2016-2020年)のメリエム・デルカウイといったフランス共産党に所属する首長なのである。2017年2月3日、国営ラジオ局フランス・ブルーでリュシエはこのように発言している。

 

私たちはレガシーを残すために奮闘しています(…)アクアティックセンターは大会のあとで子どもたちや、競技会や、市民団体にとって有益なプールとなります。セーヌ=サン=ドニにはプールが不足しているから子どもたちが水泳を学ぶのに役立つことでしょう13(注13)https://www.francebleu.fr/infos/politique/laurent-russier-le-centre-aquatique-olympique-sera-ensuite-une-piscine-utile-pour-les-ecoliers-de-saint-denis-1486110152

 

 フランスで最も貧しいと称される自治体の予算で、数千万ないしは一億ユーロ超を要するプールを建設することは不可能であり、オリンピックでもなければ国から予算を引っ張ってくることはできない、という側面は確かにある。また同県に建設されるオリンピック関連水泳施設を擁護する際には、「セーヌ=サン=ドニ県の児童の2人に1人が6年生〔11-12歳〕の段階で泳げない」という定型文が必ず持ち出される。パリ五輪は郊外の貧しい家庭の子どもたちが水泳を学ぶための「レガシー」を残すのだ、と。

  しかしこうした一見社会的配慮に富んだ発言はとんでもない欺瞞を隠している。
 
オリンピックサイズ・プールとは、子どもたちが初歩的な水泳を学ぶことを目的とした施設ではない。それには国際水泳連盟が定めた厳格な仕様書があり、長さは50mと定められ、深さは2mないしは3mが「推奨」されている。泳げない子どもたちには明らかに不向きだ。大は小を兼ねる? だが普通の25mプールの建設費には3000万ユーロもかからない。
 こうした巨額の建設費や維持費の採算性を確保するため、セーヌ=サン=ドニ県に新設されるオリンピックサイズ・プールの使用料は高額に設定されることが確実であり、経済的余裕のある層をターゲットとした関連施設を備えることになる。中でもオーベルヴィリエのプールで問題となったのは、ソラリウム(日光浴場)である。入場料が10ユーロ以上となるからだけでなく、その建設のために先述の労働者向けの菜園が2000平米以上破壊されるからだ。

  このようなオリンピック関連の失政のために(というわけでもないのだが、)2020年の統一地方選挙でフランス共産党はサン=ドニでもオーベルヴィリエでも敗北することになる。サン=ドニの新市長は社会党のマチュー・アノタン、オーベルヴィリエの新市長は中道右派政党UDIのカリーヌ・フランクレとなった。とりわけサン=ドニ市は、パリ郊外の「赤いベルト(ceinture rouge)」と呼ばれる地域の中でも重要な共産党の牙城であっただけに(第二次世界大戦後の歴代市長はすべて共産党)、動揺は極めて大きかった。
 
そもそもオリンピックに反対する政党がなかったゆえ、両市の選挙戦でオリンピックが重要な争点となったわけではない。だが因果関係は明白であろう。サン=ドニでもオーベルヴィリエでも、オリンピックを起爆剤とする再開発によって目指されるのは、さらに多くの貧しい住民を呼び込むことではない。税収を上げるために中間層の呼び込みを図り、その結果地価が上がれば、共産党の優位は当然低下することになる。

 フランス共産党はそんなこともわからないくらい愚鈍なのか、とはオリンピック関連の再開発に関心を持つサン=ドニの住民の間で幾度となく囁かれた疑問である。そしてローラン・リュシエの下でスポーツおよび大規模イベント担当助役を務めた、つまりはサン=ドニ市のオリンピック担当者であったバリー・バガヨコがリュシエに反旗を翻したことが決定的となった。
 
バガヨコは2001年からの付き合いである共産党と袂を分かち、2020年の統一選挙では不服従のフランスのリストを率いてサン=ドニ市長選挙に出馬したのである(そして彼も落選し、漁夫の利を得た形で社会党のマチュー・アノタンが当選した)。

 残念ながら本稿には、フランス共産党の内部でどのような戦略が練られた結果、オリンピック・ジェントリフィケーションが推進され、「赤いベルト」がピンク(社会党のカラー)や他の色となったのかを分析する力はない。その代わりとしては甚だ不十分であるものの、以下の事項を確認しておくことで理解の手助けとしたい。

 第一に、フランス共産党の凋落は今に始まった話ではない。ジョルジュ・マルシェ書記長(1972-1994)の時代に大統領選挙で15%を得票した栄光は遥か彼方に過ぎ去り、マリー=ジョルジュ・ビュッフェ書記長(2001-2010年)の時代には大統領選挙での得票率は2%を切っている(その大敗を受け2012年および2017年の大統領選では独自候補を擁立できなかった)。
 
2022年現在、フランス共産党の国民議会議員は12名、上院議員は14名、人口3万人以上の自治体の首長の数は15名、党員数は4万人強である。消滅間近と言えるほどの衰退局面にある政党から優れた理念や戦略が出てこないことは、別に驚くことではないだろう。

 第二に、フランス共産党は戦前からスポーツとのつながりが深かった。近代オリンピックを生み出したのはピエール・ド・クーベルタンという保守的・反動的なフランス人なのだが、彼は実はフランスでそれほど支持者に恵まれたわけではない(そのため最晩年にナチスドイツに接近した、と言われている)。
 
クーベルタンの時代、フランスの上・中産階級はスポーツには無関心で、フランスでスポーツ振興に乗り出したのは左派の方だった。1904年に社会主義者、ジャン・ジョレスが創刊した日刊紙『リュマニテ』のジャーナリストが、1907年に社会党スポーツ連合(l’Union sportive du parti socialiste)を創設。1920年以降『リュマニテ』は共産党の機関紙となり、1934年には社会党スポーツ連合と労働スポーツ連盟(Fédération sportive du travail)が合併して労働スポーツ・体育連盟(Fédération sportive et gymnique du travail)が誕生する。この合併は、来たるべき社会主義者と共産主義者の共闘の前触れとなっていた。そして人民戦線内閣(1936-1938)が成立し、社会主義者のレオ・ラグランジュが初代スポーツ相に就任する。
 現在、ラグランジュの政治家およびレジスタンス闘士としての功績は広く記憶されているとは言いがたいけれども、「レオ・ラグランジュって名前のプールはどこの町にもあるよね(誰か知らないけど)」という形でフランス社会に痕跡を残し続けている。

  フランスの左派の中でも長らくスターリンに忠実だった共産党は、独自のレガシーをスポーツ界に残している。
 
ソビエト連邦がオリンピックに初参加するのは1952年のヘルシンキ五輪である。1920年代から30年代にかけてソ連は、貴族やブルジョワのための大会である国際オリンピック委員会(IOC)が組織するオリンピックはおろか、社会民主主義的な労働者オリンピアードにも参加せず、コミンテルンが支援するレッド・スポーツ・インターナショナル主催のスパルタキアードに参加してきた。
 しかし1936年のベルリン五輪に対抗して人民オリンピックがバルセロナで組織されると、スターリンは支援を表明する。フランスからは、前述の労働スポーツ・体育連盟がバルセロナに選手団を派遣した。しかし同大会はスペイン内戦勃発によって中止となる(そしてそのままスペインにとどまって内戦に参加し、命を落としたアスリートもいた)。
 フランス共産党は『リュマニテ』紙上でベルリン五輪ボイコットの論陣を張ったが、人民戦線内閣は参加を決定。フランス代表団は開会式でどう見てもナチス式敬礼にしか見えないポーズ14(注14)もちろんフランス代表団は貴賓席のヒトラーに向かってナチス式敬礼をしたわけではなく、「右手を前方に突き出す」オリンピック式敬礼を行ったのである。この動作を回避するために各国代表団は工夫を凝らし、例えばアメリカ代表団は被っていた帽子を脱帽して胸の前に持ってきた。を取って失笑を買った。この翌年、アントワープで開始されたレッド・スポーツ・インターナショナルと労働者オリンピアードの共催大会が、ソ連の本格的な国際スポーツ大会への初参加となった。

 戦後にスターリンはIOCへの加盟を決定する。これを熱烈に歓迎したのが『リュマニテ』紙である。初参加のヘルシンキ五輪でソ連は早くもアメリカに次ぐメダル数を獲得。以後、ソ連として最後の参加となるソウル五輪(1988年)まであらゆるオリンピックにおいてアメリカと並ぶ強豪国として君臨し、米ソ間のメダル争いは冷戦の対決構造を色濃く反映していた。
 
ソ連をはじめとする共産圏は「ステートアマ」と呼ばれる、国家が手厚い補償を与えて育成するアスリートを送り込む。ドーピングも辞さない。オリンピック運動の金科玉条たるアマチュアリズムへの違反ではないか、と西側諸国は抗議し、アマチュア規定は削除される(1974年)。
 この間「モスクワの長女」たるフランス共産党が、ソ連を批判することはほとんどない。1980年のモスクワ五輪では『リュマニテ』紙は西側諸国の集団ボイコットを批判する。フランスの世論もアメリカ追従に傾く中でそれでもモスクワ五輪を支持した共産党は、「ソ連で開催されるオリンピック」の擁護を超えた、原理原則的オリンピック礼賛を展開したのだった。以下はミッテラン政権で運輸相に就任することになる、シャルル・フィテルマンの発言である。

 

(85ヶ国が参加を表明しているので)私たちはボイコット派に勝利しました。われわれ共産主義者はそのことを喜んでいます。われわれは、言うならば、無条件オリンピック支持者なのです。なぜかと言えば、きわめて単純に、オリンピックは個人が持つ人間性の開花の優れた表明手段だからです。また先ほど申し上げた通り、友愛や平和の優れた表明手段でもあります。それゆえオリンピックは外部からの影響を被るべきではないのです。カーター〔米大統領〕やシュミット〔西ドイツ首相〕による影響力の行使は、到底許されるものではありません15(注15)引用した発言は4:30より:https://www.cinearchives.org/Catalogue-d-exploitation-OUI-AUX-JEUX-OLYMPIQUES-494-817-0-1.html?ref=e08f18f42f080392c0139c198d524bc2

 

 戦前からモスクワ五輪を経て現在に至るまで、フランス共産党はスポーツによる共産主義プロパガンダの伝統を踏襲しているのでは、と憶測してしまってはやりすぎだろうか? しかし2024年パリ五輪にいたるまで、フランス共産党とスポーツとの関係に断絶や大きな転換点が見当たらないのは事実である。
 
元党書記長にして、リオネル・ジョスパン首相(社会党)率いる第三次コアビタシオン16(注16)フランス第五共和政においては、大統領と国民議会多数派の所属勢力が異なる場合がある。左派の大統領(ミッテラン)と右派の首相(シラク)、または右派の大統領(シラク)と左派の首相(ジョスパン)による政権運営を「コアビタシオン(共存)」と呼ぶ。内閣(1997-2002年)でスポーツ相を務めたマリー=ジョルジュ・ビュッフェは2022年現在、国会議員が構成する2024年パリ五輪作業グループのメンバーに名を連ねている。また共産党が与党側となり、すなわちパリ五輪を推進する立場にあるパリ市政においては、住宅・難民保護担当助役のイアン・ブロッサの存在感が大きいのだが、彼は共産党のスポークスパーソンも務めている(彼の父親は、著作が日本語にも翻訳されている哲学者、アラン・ブロッサである)。メディア上でのパリ五輪の擁護は、ビュッフェにとってもブロッサにとっても重要な職務となっている。

 パリ五輪ではジャーナリスト向けの宿泊施設として、「メディア村」なるものが建設される。IOCをして「パリには十分な数のホテルがあるのだから不要なのではないか」17(注17)​​https://www.leparisien.fr/sports/JO/paris-2024/jeux-olympiques-2024-le-comite-d-organisation-planche-avec-l-etat-14-03-2018-7607094.phpと言わしめた施設だ。この「メディア村」は、長らくデベロッパーが目をつけていたセーヌ=サン=ドニ県のデュニー市にある県立公園の緑地を民営化して建設される。
 
オリンピックのどさくさに紛れて公共財を民営化してしまうだけでも問題であるが、この土地は欧州連合(EU)が自然保護区に指定するジョルジュ=ヴァルボン県立公園とつながっており、生態系への影響が懸念されている。そのため建設計画の撤回を求めて住民および環境団体が裁判闘争を行った。工事は裁判所命令によって一時中断されたものの、最終的には施工者であるオリンピック会場建設公社の勝利となり、木は切り倒され、地面はコンクリートの下に沈み、鳥やカエルが住処を失った。

  この「メディア村」が建設されるのが、1999年以来『リュマニテ祭』の会場となってきたレール・デ・ヴァン(L’aire des Vents)公園なのである。そのため2021年の『リュマニテ祭』は同地で行われる最後の回となった(2022年以降は、共産党の地盤とは言えないパリ南のエソンヌ県に会場が置かれる)。
 
これはフランス共産党にとって決して小さくない出来事である。前述の通り党勢は衰退の一途をたどっており、『リュマニテ』の発行部数も急降下している(2021年で33,000部)。どちらもいつ消えてもおかしくない、と何年も前から言われているのだ。そうした情勢において『リュマニテ祭』だけは、パンデミックが終息しない中でも十万人超の動員を誇ったドル箱イベントなのである。その歴史ある会場が、IOCすらも「不要では」と疑問を挟むオリンピック関連施設のために移転を余儀なくされるのだが、それについて共産党の幹部が否定的な発言をすることは決してないのである。

 またIOCがオリンピックの最高位スポンサーに民泊仲介サイトAirbnb迎えたことは、Airbnbを批判する著作18(注18)Ian Borssat, Airbnb la ville ubérisée, 2018, La ville brûle.)を出しているイアン・ブロッサにとって手痛い仕打ちであった。しかしスイスを本拠地とする非営利団体であるIOCの決定に対し、開催都市とはいえ一自治体にできることは何もなく、「遺憾を表明する」のが関の山である。
 
2019年11月18日に国営ラジオ局フランス・アンフォでブロッサはこう発言した。

 

Airbnbの無秩序な発展と戦う都市にとって、悪い兆しです(…)。これはIOCにのみ決定権がある選択ですが、理解に苦しむ選択です。なぜなら現在、パリだけでなく数多くの都市、サンフランシスコやニューヨークやヨーロッパの各都市などが、Airbnbを規制するために奮闘しているのですから19(注19)https://www.francetvinfo.fr/sports/jo/jo-2024/airbnb-sponsor-des-jo-c-est-un-mauvais-signal-pour-les-villes-qui-se-battent-contre-le-developpement-anarchique-d-airbnb-estime-ian-brossat_3708769.html

 

 なぜブロッサは「理解に苦しむ」のだろう。オリンピック招致の最大の動機は都市再開発であり、それはジェントリフィケーションとほぼ同義であり、過去大会で見られた住民の強制退去がセーヌ=サン=ドニ県でも起こった以上、Airbnb以上にオリンピックにふさわしいスポンサーの方がむしろ稀なのではないか。しかしこうした分析がブロッサの口から出てくることはまずないのだ

後編へ続く

著者紹介

佐々木夏子(ささき なつこ)

翻訳業。2007年よりフランス在住。立教大学大学院文学研究科博士前期課程修了。訳書にエリザベス・ラッシュ『海がやってくる――気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』(河出書房新社、2021年)、共訳書にデヴィッド・グレーバー「負債論――貨幣と暴力の5000年』(以文社、2016年)など。