ピープルのいないところにポピュリズムあり?
——「健全な病理」としてのポピュリズム

酒井隆史

1, あいまいな「ポピュリズム」

ポピュリズムという言葉から、ここ日本ではどのようなイメージが浮かぶでしょうか?
メディアの劇場政治を通して単純なフレーズで人気取りをおこなう政治家と、それに踊らされる愚かな大衆、といったところが、一般的通念でしょうか。
おそらく、現代の世界の政治の一番の特徴はなにか、と問われるならば、まっさきにあがる答えのひとつが、ポピュリズムであるとおもいます。現代が、ポピュリズムの時代であることはまちがいないのです。

しかし、この言葉は、少し前まで、研究者にはなじみのあるものでしたが、日本語で一般的に流布していたとはいいがたいものでした。ここにはひとつ興味ぶかい示唆があるとおもいます。つまり、おそらく、日本は少なくとも戦後半世紀ほどのあいだは、ポピュリズムを経験していないのです。それが変わったのは、たぶん小泉純一郎が首相になったあたりから、そしてとりわけ、大阪の橋下府知事(当時)と維新の台頭とともにではないでしょうか。

ポピュリズムにはときに訳語があてられますが、そのひとつが「大衆迎合主義」です。ここにはポピュリズムに対するネガティヴな価値意識が露骨に投影されていますが、もともと「ポピュリズム」という用語にそういうニュアンスがなかったとはいえません。
popularはpeopleの形容詞ですが、ポピュラーである、すなわち大衆的である、一般的である、人気がある、といった状態それ自体、ある時期は、否定的な含意をもっていたのです。

日本で、この言葉が流布をはじめてからは、とにかく、じぶんの気に入らない政治家や政治勢力に投げつけるレッテルのように機能してきました。さすがに、最近はそういう風潮は徐々にあらたまりつつあるようにみえますが、しかし、その意味は、いまだ漠然としています。

ポピュリズムといわれる現象には、多様なものがあります。橋下徹というひとは、おそらく現代の極右ないし権威主義的ポピュリストの典型といえますが、その特徴をいくつかあげると、現代の世界のポピュリストの姿がみえてきます。

1.敵をつくり、それを労働組合、自治体官僚、左翼、批判的メディア、マイノリティ組織などと同一視すること
2.民衆、あるいは一般大衆、マジョリティのふつうの人々を、そうした敵たちの敵対する対象として設定すること。
3.じぶんをそのマジョリティのふつうの人々と同一視すること。
4.それによって、デモクラシーの枠のなかの交渉すべき勢力から、かれらを外そうとすること。
5.選挙を完全に否定しないが、選挙をみずからへの白紙委任状と捉え、デモクラシーの機能を極端に縮小する傾向があること。代表制デモクラシーの代表機能を、可能なかぎり独裁的に解釈しようとすること。
6.三権分立や法の支配、表現の自由といった、リベラルな諸理念、諸制度を軽視し、これも縮小しようとする傾向があること。
7.排外主義や歴史修正主義、レイシズムに親和的であること。好戦的であること。
8.中間組織を嫌い、意思決定のトップダウン構造を構成しようとすること。指導者と、それに喝采する大衆という図式を好み、マスメディアを介したスペクタクルによってそれを調達しようとすること。つまり、権威主義的であること。

これらはトランプの特徴にもあてはまりますが、第二次大戦後に世界であらわれた右翼ポピュリズム体制にも共通する特徴なのです。

しかし、むかしもいまも、ポピュリズムといわれる現象は、このような要素だけでは割り切れません。これがポピュリズムという用語に混乱をもたらしているのです。

橋下にしても小池百合子にしても、かれらは、みずからの排外主義や歴史修正主義を隠そうとしません。むしろ、それをテコにして、民衆の排外意識を掘り起こし、そこに訴えながら、あらわれようとします。トランプもそうです。かれは、しばしば、「レイシズムの見本集」と揶揄されるような話法を駆使して大衆の差別意識をあおり立て、また実際に、「不法移民」をあぶりだして強制送還しようとしています。

ところが、その一方で、たとえばヨーロッパをみると、スペインのポデモスという若い世代を中心とした急進左派もポピュリストといわれています。というより、自称していますが、かれらは、移民への投票権を主張しています。

またギリシアの与党であるシリザもそうです。かれらは急進左派を自称し、移民への排外主義には強く批判的であり、むしろ極右ポピュリズムの台頭を抑えてきました。それぞれ、1990年代あたりからネオリベラルグローバリゼーションに対抗して世界規模で発生した多様な民衆運動のなかからあらわれました。

いまは退潮期ですが、ラテン・アメリカでも、ベネズエラのチャベスやボリビアのエボ・モラレスのような、急進左派のポピュリズムが台頭していました。

ラテン・アメリカは、ポピュリズムという政治スタイルを主要に経験してきた地域です。二つの大戦後、アルゼンチンには、フアン・ドミンゴ・ペロンという政治家があらわれ、長期にわたって支配しますが、ペロンは、その存在自体が、ポピュリズムのあやふやさを体現しているような人物です。というのも、ペロンのいうことは、右から左までを包摂しており、実際にやることも、情勢に応じて、右から左の両極のあいだを、ぶれつづけたからです。

こうみると、ますますわからなくなってきます。ポピュリズムとはなんでしょうか?

2,それではポピュリズムとはなにか?

ポピュリズムのルーツは、さまざまにいわれます。古代にさかのぼるひともいます。たしかに、古代ギリシアのデモクラシーの歴史をみると、基本的に貴族であるプラトンをはじめとする哲学者たちは、大衆(デモス)の支配であるデモクラシーとむすびついた政治家やソフィストといわれる知識人たちを、人気取りの扇動家である「デマゴーグ」と、しばしば指弾しています。

これをみると、ポピュリズムは大昔からあったのだと推測するむきがあってもおかしくはありません。

しかし、ポピュリズムを論じる研究者たちは、おおよそのところ、ポピュリズムのルーツを、19世紀後半のロシアとアメリカ合衆国にみています。ロシアはナロードニキで、アメリカ合衆国は人民党(People’s Party あるいは端的にPopulistと名乗りました)です。

ナドードニキは、19世紀ロシアの知識人による社会運動で、その運動が掲げた「ヴ・ナロード」という標語は「人民の中」へ、という意味です。知識人たちは、小農のなかへ入っていきました。これは資本主義社会への移行期における、前近代的支配や収奪への抵抗ですが、それを、いまのはやりの(?)言葉でいうと「アウフヘーベン」するかたちで、レーニンらの20世紀ロシアの革命家たちも生まれてきます。

一方、より現代のわたしたちの条件に近いのは、アメリカの人民党です。アメリカの代表制デモクラシーが二大政党体制として確立をみせたあと、その危機の表現としてあらわれたのが人民党とその文脈にある「ポピュリスト」の運動でした。南北戦争以降の、産業の上昇、独占の台頭、不況などを背景として、産業家、富裕層、既成政党、政治家の癒着のなかにある二大政党制ではもはや代弁しえなくなった「ピープル」の声を表現しようという試みでした。

たとえば、それは排外主義どころか、少なくとも当初、南部では、白人貧困層と黒人農民との連帯への努力としてもあらわれます。それだけに、支配層の危機感、恐怖感は強く、その連帯の機運を破壊するものとして、レイシズムが強力に動員されたのです。

これらは基本的に、政治的スペクトラムでいうところの、左派に属しています。いずれにしても、民衆と支配層の対立関係を明確化して、ピープルに訴えました。ここは押さえておかねばなりません。

つまり、ポピュリズムのとる形態にはさまざまな否定的な見方が可能ですが、ポピュリズムを発生させる根源には正当な理由があるのです。

それともうひとつ。

この社会が、ある種の不当な支配構造のもとにあってそこには対立があるのだといった認識は、それ自体としていっさいおかしなところはありません。ポピュリズム批判には、つねに、こうした構造自体を認めたくないといった支配的リベラルの視線、さらには、民衆を愚かとみなす、それこそ長い歴史をもつ、エリートの愚民意識があります。

いま世界中でそうですが、ポピュリストは、こうした支配的リベラルやエリートの批判をもろともしません。なぜなら、人々の苦境とそれを救いとる回路がないという意識は、その意識がどれほどダメかを言い立てても消えるわけではないからです。それと、この社会がデモクラシー、すなわちピープルによる支配という建前をとるかぎり、それをより実質化させようとする動きとぶつかるのであり、そのジレンマを自覚しない言説は、どうしてもエリート主義、あるいはデモクラシーの否認という火種をそのうちに抱えてしまうからです。

結論の先取り的になりますが、わたしは、ポピュリズムはデモクラシーが過小なところには必ず生まれてくると考えています。これをデモクラシーの過剰とみなしてしまうところに、リベラリズムの限界があります。

先走ってしまいましたが、それでは、この話と現在のポピュリズムはどういう関係にあるのでしょうか?

上のようなロシアとアメリカ合衆国のポピュリズムを、「オリジナル・ポピュリズム」として、現代のポピュリズムと区別するひとたちもいます。最新の研究をみてみましょう。歴史学者フェデリコ・フィンケルステインの『歴史のなかのファシズムからポピュリズム』(カリフォルニア大学出版)(注1) です。

この著作は、現代のポピュリズム論議の大きな欠点は、歴史的視点の欠落とヨーロッパ中心主義にあるといいます。それを古代にみいだすべきでもないし、また19世紀にみいだすべきでもない、と。

フィンケルステインによれば、その起源ははっきりしています。1946年のラテン・アメリカに求めるべきなのです。先ほどあげた、ペロン、そしてブラジルのバルガスです。とりわけペロンが重要です。

アルゼンチンでは第二次大戦中の1943年にクーデターで軍事政府が成立します。この政府は、労働組合に容赦のない弾圧をくわえますが、他方で、国民の支持の獲得も画策し、労働局長として実績をあげていたペロンの地位をさらに引き上げると、ペロンはそれを活かし、次々と労働者の要求を実現していきました。当初は抵抗していた労働組合も、ペロン支持に変わっていきます。

それに不満をもった軍内部の保守派は、ペロンの排除を狙って幽閉しますが、労働者をはじめとした大衆的支持によって、ペロンは復帰し、労働者をひとつの支持基盤として大統領となると、それから長期政権を維持します。しかし、かれは、左派やみずからを支えた労働組合の活動家を邪魔とみなすと、次々と排除していきました。その手法は、独裁的で権威主義的なものでした。

ペロンはファシズムに親近性をもっていますが、ファシストではないことはあきらかです。フィンケルステインは、現代にいたるまでの固有の意味でのポピュリズムは、ファシズムおよびその徹底的否定なしにはなかったという点を強調します。

「歴史的にみて、ファシズム以降のポピュリズムは、デモクラシーにかかわる権威主義的立場の再生であり、その体制への翻訳であって、それ自体はファシストの想像世界に基盤をおいている」。そして、それは「デモクラシー的代表制の広範囲にわたる危機に対する権威主義的応答をあらわしている」のです。

たしかに、ポピュリストとされる政権は、選挙において不正を大々的におこなうにしても、それでも選挙で敗れれば退陣しますし、みずからも、しばしばファシズムや全体主義への反対を公言します。ファシズムのようにいったん政権をとるとデモクラシーを否定しにかかることはしないのです。

その点で、固有の意味でのポピュリズムとは、ファシズムの否定が前提となった大戦後のポストファシズムの時代の政治形態なのです。しかし、同質的で一体のものとして想像された「ピープル」を唯一代表する者を公言し、三権分立、立憲主義、表現の自由、多元主義的要素を、最大限に制約しようとしたり、あるいは、対立者たちへの迫害をいとわない、といった点で、ファシズムと共通しています。というより、それらは、ファシズムに根をおろしてもいるのです。

この研究から学ぶところは多くあります。とりわけ、わたしは、ポピュリズムをファシズムとの連続でみながらも、それとはっきり区別したところが大事だとおもいます。

というのも、日本では(日本にかぎりませんが)、ポピュリストに対してファシストを安直に重ねる傾向は強いからです。それだと、ポピュリズムに固有の力学はみえなくなるでしょうし、代表制デモクラシーの危機などの、ポピュリズムを生み出す構造的問題の根源がみえなくなります。そして、それへの対応も誤ってしまうのです。

ただし、疑問もあります。ここでは、ポピュリズムは権威主義的なデモクラシーの形態であるとされています。しかし、これでは、たとえば、権威主義を遠ざけて、民衆とその組織の多様性を認め、アッセンブリー的合意を重視しようとする、「水平主義」(注2) の影響のもとにあるスペインのポデモスは理解できません。

また、フィンケルステインはじめ、現代の研究者たちの多くが現代の権威主義的ポピュリズムの代表のひとりにあげる、チャベスのベネズエラですら理解できません。

チャベスのポピュリズムが基盤としていたのは、ベネズエラで強力に発展していたコミューンの運動とそのネットワークです。生産から消費、地域の運営、さらには自警にいたるまで(ベネズエラではギャングやそれと結託する警察からコミュニティを守る動きが革命化して、チャベス政権の支持者となっていたのです)、さまざまな場面で、民衆の多様なコミューンと運動が基盤となっていたのです(注3) 。

スラヴォイ・ジジェクのような哲学者は、それを右翼ポピュリズムとは区別して、現代にもし「プロレタリアート独裁」といえるようなものがあるとすれば、チャベスのベネズエラがそうだ、といっています。

このような言葉遣いは、いささかドキリとさせるものでしょう。しかし、代表制デモクラシーの根本的危機のなかで、その危機に、上からの権威主義によってではなく、下からの民衆による自治への応答、つまりデモクラシーの深化によって応じようとする衝動の派性態と考えると、右翼ポピュリズムとの違いは、もしかすると本質的なものかもしれないのです。

3,ピープルの不在とポピュリズムの上昇

そうした下からのデモクラシーの要素それ自体はポピュリズムとはいえない、と反論されるかもしれません。しかし、こうした議論では、たいがい、それははっきりとしないのです。

それに対し、ポピュリズムそれ自体の力学を捉えようとする試みもあります。言説やシンボルの動きに注目する研究です。こうした研究では、ポピュリズムを「シンボリックに社会をピープルとその「他者(other)」に分割することで、政治的空間を単純化する、反現状の言説」 (注4) と定義します。

難解なことを言っているようですが、「敵をつくってシンプルなフレーズで「既成のもの」を破壊することを唱える」、といいかえてみれば、よく実感できるのではないかとおもいます。

右翼のポピュリズムであれば、この「他者=敵」として、労働組合、左派政党、移民などが代入されるでしょうし、左翼のポピュリズムであれば、金融資本家、富裕層、軍事政権、ファシストなどなどが代入されるでしょう。

こうした研究は、ピープルは構築される、という点に力点をおきます。つまり、ピープルとは、言説による構築の前からゴロンとそこにあり、だれかに代表されるのを待っているのではなく、むしろ、本来複雑でさまざまなニュアンスをはらんだ存在である生地としての人々が、言説を通してピープルとして構成されるというわけです。

そして、こうしたピープルの構築が、いかに解放的で多元的でありうるのかも示唆します。つまり、これはポピュリズムが必ずしも権威主義的だったり右翼的、排外的であったりするばかりではない、という実状をよく捉えており、また、デモクラシーを理念にすえた社会においてポピュリズムが必須であること、そして、それがいかなるときに解放的たりうるのか、ということを教えてくれます。実際、このような議論は、ポデモスなどヨーロッパの左翼ポピュリズムに大きな影響を与えています。

先述したように、わたしは、ポピュリズムというものを、デモクラシーが過小な場にあらわれる表現として考えているので、もう少しちがう角度からもみてみたいと思います。

ここで、べつの人物のポピュリズム論が役に立ちます。それは、マリオ・トロンティというイタリアの思想家によるものです(注5) 。かれの主張はひとことでまとめられます。

「ピープルが不在であるがゆえに、ポピュリズムがある」
これはなにをいっているのでしょうか。かれは、ポピュリズムという発想の中軸にある観念、つまりピープルという観念にさかのぼって考えます。

ピープルという概念には、二つの起源があります。ひとつは、さきほども挙げた、古典古代のギリシア、ローマです。

もうひとつ系譜は、聖書の伝統に由来するものです。つまり、モーゼの創設したピープルです。このピープルは、広場に集まって討議する市民というよりも、抑圧や隷属からの解放やエクソダスといったイメージをまとっています。

トロンティは、近代におけるピープルという概念は、後者の系譜にあるといいます。それは、「世俗化された神学の観念」なのです。わたしはおそらく両者の混合ではないかと考えていますが、いずれにせよ、トロンティの指摘は有益です。というのも、近代は、まさにこの神学の生み出すパラドクスに憑かれているからです。

ものすごくかんたんにいうと、近代においてこの社会あるいは法的秩序を最終的に根拠づける至上権が神からピープルに移行します。王のかつて保持した権力は、ピープルという実体がいまや保持している、と宣言されたのです。

ところが、これはただちに問題をひきおこします。というのも、ピープルとは定義からして、そもそも法によって拘束されていることで統一された、個人からなる集合体だからです。たんに地表でバラバラに生きている個人や小集団を、デモクラシーの主体としてのピープルとはいえないでしょう。

としたら、かれらがその法を創造できるということはなにを意味しているのでしょうか?

近代思想は、この矛盾に悩まされました。たとえば、ピープルを根本法である憲法制定権力とします。しかしその権力や権利を、ピープルに授けるのはなにか。なぜ、ピープルは法によって拘束されるのでしょうか。
これは、まさに秩序の究極の正当性の根拠を求める神学的議論です。

ピープルに主権がある、あるいはデモスに支配の根拠をおくデモクラシーという仕組みをとるかぎり、この難問から脱出する方法はありません。そこで、問題そのものを、さまざまに緩和する装置が設けられます (注6) 。

しかし、トロンティの議論は、ここに力点があるのではありません。

かれが強調するのは、ピープルの政治的意味が、1848年にあらわれるということです。1848年とはなんでしょうか? それはヨーロッパの「世界革命」の年であり、その後の、世界の様相を決定づける出来事がいくつかあった年です。

そのひとつが、ブルジョアジーと労働者のあいだの決裂です。つまり、1789年の大革命以来、アンシャンレジームに対してともに革命勢力を構成していたブルジョアジーとプロレタリアートとが、1848年革命において、はっきりと分裂して、労働者が固有のイデオロギー、すなわちソーシャリズムあるいはコミュニズムとむすびつき、両者が対立をはじめるということです。

ソーシャリズムは1848年に生まれた、といわれますが、そこにはこのような含意があるのです。つまり、ここではじめて、資本制のもとでのピープル、その枠組み自体にとって転覆的な意味をはらむピープル、あるいは政治的なピープルである「人民」が誕生するのです。

この発想は、多くの示唆を与えてくれます。先ほど、日本ではポピュリズムという言葉は最近まで流布していなかった、といいました。

不思議ではありませんか? 20世紀には、1970年代にいたるまで、労働組合は強力で、日本でもある程度はそうだったのに。そして、民衆やとりわけ人民というピープルの訳語は、あきらかに解放という政治性を帯びていました。その意味で、ピープルの現前は、あきらかにいまより強かった。

にもかかわらず、ポピュリズムという現象は最近にいたるまで、あらわれなかったのです。言葉を知らなかった、というわけではありません。あきらかに、ポピュリズムは存在しなかったのです。

これは相関しています。「階級闘争」、もうすこしひらたくいうと、ひとつの社会体の内部に亀裂があることがはっきりしていたこと——排外主義的ポピュリズムに顕著な同質的国民といった幻想が抑えられていました——、そして、それがピープルという政治性を帯びた表現としてあらわれていたことによって、ポピュリズムという現象は抑止されていたのです。

これは、わたしたちの資本主義社会が、現実には分裂しているという根源的条件を背景にしています。どんなに国民の一体化をいおうが、なにをしようが、この社会は、「1%対99%」という標語があきらかにしたように、根本から分裂しているのです。しかも、大戦後に、たまさかのあいだ、先進国では弥縫されるようにみえたその分裂は、1980年代からもう手の施しようもなくふたたび広がりをみせています。

しかし、実はこのことを、現在のデモクラシーと代表制(代表制は本来デモクラシーとは関係なく、貴族と王の対峙の枠組みからあらわれたリベラリズムのものです)とを接合しようとした、18世紀、19世紀の革命家や政治家たちはよくわかっていました。かれらの多くは、じぶん自身、富裕層や中産階級だったので、なんとかデモクラシーを抑えるかたちで対応しようとしました。

ポピュリズムは、このように理念上ではピープルに主権を与えるということ、実態上では支配や搾取・収奪にピープルがさらされているということの亀裂からあらわれてきます。少し逆説的な表現ですが、ある種の「健全な病理形態」なのです。

ホワイトハウスにポピュリストが君臨した現在の事態は、おそらく、デモクラシーを代表制というかたちで抑え込み、かつ資本制のもたらすヒエラルキーを中和させる、といった20世紀に主流であった社会の構成が根本的なデッドロックにつきあたったことの表現です。そして、この「病理」を、権威主義的ポピュリズムは、デモクラシーを抑え込むかたちで「解決」しようとします。それに対して、――人間が生き延びるべきであるとして――、唯一の見込みのある方向性は、ただひとつ、デモクラシーをもっと深化させる道のみである、とわたしは考えます。

注1)Federico Finchelstein, From Fascism to Populism in History, University of California Press, 2017.

注2)水平主義(horizontalism)はスペイン語のholizontalidadに由来する。たとえば次のような用法における「水平」がその意味である。「占拠[オキュパイ]運動はダイレクト・デモクラシーを通して、参加者がオープンにお互いに関与できる水平的で、非ヒエラルキー的な社会関係を形成しようとした」。この語がはじめてあらわれたのは2001年アルゼンチンでの民衆反乱においてであり、経済危機のただなかで街頭にくり出したアルゼンチンの人々は、ポットやなべかまを叩きながら、「みんな出て行け、一人も残るな」と叫んだ。抗議者たちが5つの政府を次々と倒すと、人々は地域単位のアッセンブリーをつくりはじめた。holizontalidadに基盤をおくアッセンブリーである。運動参加者たちは、それをたがいがお互いの意見に耳を傾けあいつながりあう、もっとも自然なやり方とみなしていた。(https://www.dissentmagazine.org/article/horizontalism-and-the-occupy-movements

注3)この点についての入門的な文献は、George Ciccariello-Maher, Building the Commune Radical Democracy in Venezuela, Verso, 2016.

注4)これにかんしては、Francisco Panizza, Introduction: Populism and the Mirror of Democracy, Pannizza F. (ed.), Populism and the Mirror of Democracy, Verso, 2005, p.3.をみよ。

注5)Mario Tronti, “We have populism because there is no people” (https://www.versobooks.com/blogs/1261-mario-tronti-we-have-populism-because-there-is-no-people

注6)フランス大革命における憲法をめぐる議論の展開と紆余曲折(1791年憲法、93年憲法、95年憲法)、そして19世紀のフランス民衆運動が93年憲法の実現を掲げていたこと(マルクスは批判的だった)は、大革命自身がどのようなパンドラの箱をあけてしまったのかを集約的に表現している。

初出:『福音と世界』(新教出版社)2017年12月号。
ウェブでの公開にあたり大幅な加筆・修正を施しました。転載を許可してくださった『福音と世界』編集部のご厚意に感謝いたします(訳者)。


著者

酒井隆史(さかい たかし)

1965年生まれ。社会思想史、都市形成史。
著書に、『自由論』(青土社、2001年 ※2019年8月『完全版 自由論』が河出文庫より刊行された)、『暴力の哲学』(河出書房新社、2004年 ※2016年、河出文庫)、『通天閣』(青土社、2011年)など。