誰がパリ五輪に抵抗しているのか?[序]/佐々木夏子

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【連載/序】

誰がパリ五輪に抵抗しているのか ?

Qui luttent contre les Jeux Olympiques 2024 de Paris ?

 

 

 

佐々木夏子

 

パリ7区のシャン・ド・マルス広場に設営された東京五輪のパブリックビューイングを妨害し反五輪のメッセージを掲げる人々。横断幕には「La terre brûle, fini de jouer (地球は燃えている、ゲームをやめろ)」と書かれている。(2021年7月24日、撮影者匿名)

 

 

Introduction

 2017年9月。第131次国際オリンピック委員会(IOC)総会に出席するため、 パリとロサンゼルスの代表団がペルーの首都リマへと向かう。フランスの調査報道ウェブメディア『メディアパール(mediapart.fr)』は後日、パリ市長アンヌ・イダルゴ、IOC委員ギー・ドルー、のちにパリ五輪組織委員長に就任することになる招致委員長トニー・エスタンゲらを含む総勢「250名から320名」の調査団の出張費に150万ユーロが費やされたことを報道する1(注1)https://www.mediapart.fr/journal/france/260917/paris-2024-les-millions-senvolent-deja?onglet=full
 この巨額の出張費が物議を醸した理由のひとつは、IOCが認めた代表団の人数が60名であったのに「リマのホテルのテレビで総会を視聴した」オランド政権下のスポーツ相ティエリ・ブレヤールなど、現地に出向く必然性が疑わしい人物が多数含まれていたことである。代表団の利用ホテル(5つ星のSwissôtel)やレストラン(ペルー最高峰と謳われているAstrid y Gaston)のグレードも、庶民感情を逆なでするのに十分であった。

 しかしもっと根源的な問題がある。そもそもIOC総会を待たずして、パリが2024年夏季五輪の開催都市となることは決定済みだったのだ。このリマでの総会は、IOC委員の無記名投票で開催都市を選ぶそれ以前のIOC総会とは大きく性格を変えていた。滝川クリステルが「お・も・て・な・し」のパフォーマンスを見せた、ブエノスアイレスでの第125次IOC総会は記憶に新しいが、あの場で東京の代表団が見せたガッツポーズに芝居がかったところはなかった。のちに明らかとなるようにさまざまな汚職工作が行われていたものの、マドリードやイスタンブールを破って東京が開催都市となる見通しが立っていたわけではなく、多くの利害関係者が固唾を飲んで投票の行方を見守っていたのだ。東日本大震災および福島の原発事故からわずか2年後ということもあり、東京への決定は驚きをもって受け止められたのである。
 それから4年後のリマでは事情はすっかり変わっていた。2017年7月には、この時点でパリ以外に招致活動を継続していた唯一の都市であるロサンゼルスが2024年の次の大会(2028年大会)を開催する方向でその受け入れを表明済みであった。こうして2024年の開催都市は不戦勝でパリに決定したのである。2024年大会に立候補していた都市が次々と招致撤回する中、残った2つの「優良」都市のどちらも逃したくないIOCは、2大会開催都市同時決定という近代五輪史上初の動きに出たのだ。この時点で「招致合戦」は終了していたのである。リマのIOC総会会場(ウェスティンホテル)でトーマス・バッハ会長が開催都市を正式発表した際に見せた、感極まった表情をさんざん揶揄されたアンヌ・イダルゴは、「パリが選ばれるかどうかなんてまったくわからなかった」2(注2) https://www.francebleu.fr/infos/societe/paris-2024-il-n-y-avait-pas-d-evidence-a-ce-qu-gagne-les-jeux-pour-anne-hidalgo-1505375387と言ってのける。しかしイダルゴがこのように言うしかない理由のひとつは、リマへの巨額の出張費の正当化だった。パリでの五輪開催が事前に決定していたなら、数百名からなる代表団は何をしにわざわざリマまで出向いたのか?

  フランスでもっともパリ五輪関連報道に熱心な日刊紙『ル・パリジャン』は以下のように報じている。パリが2024年大会の開催都市となることは決定済みであったが、招致委員会には代表団、特にスポンサー企業関係者をリマまで連れて行く契約上の義務があった3(注3)
https://www.leparisien.fr/sports/JO/paris-2024/deplacement-de-la-delegation-a-lima-cette-polemique-est-injuste-juge-tony-estanguet-28-09-2017-7291965.php
。それにパリがロンドンに4票差で敗れた、2005年の第117次IOC総会の方が今回よりもずっと高くついた(プレゼン用の映像だけで600万ユーロ)。
 今回の招致活動の方がずっと低予算な上に五輪開催もめでたく決まったのだから、150万ユーロごときでガタガタ言うな、とでも言わんばかりの論調である。

 このエピソード自体は「五輪とカネ」をめぐる典型的なものであり、決して小さな問題ではない。けれども本稿の関心は実はまったく別のところにある。リマのウェスティンホテルでトーマス・バッハと肩を組んで写真におさまったのがパリとロサンゼルスの市長であったという事情の背後に、何があったのかを確認しておきたいのだ。

 先述の通り「2024年大会への立候補都市」は「次々と招致を撤回」している。先陣を切ったのは、2015年初頭にアメリカオリンピック委員会が2024年大会立候補都市に指名したボストンである。この撤回劇は、心あるボストン市議会議員や市役所員による招致計画の見直しによって起こったわけではない。2013年にマサチューセッツ州が実現可能性委員会(Feasibility Comission)を発足させるのとほぼ同時期に、スポーツ経済学者アンドリュー・ジンバリストの研究に依拠して五輪の予算問題や経済効果の虚偽を追求するNo Boston Olympicsというグループが立ち上がった。彼らは、政治学者ジュールズ・ボイコフが言うところの「財政保守主義者」であり、言わば「反五輪右翼」である。このグループとは異なり、オリンピックと表裏一体となっている強制退去やジェントリフィケーションといった社会コストに光をあてる、No Boston 2024という左派の五輪反対グループも2014年に生まれた。前者はテレビ出演などメディア戦に力を入れ、後者は公開討論会や直接行動などを展開した。こうした人々の熱心な努力によって五輪招致はボストンで世論の支持を徐々に失っていき、2015年7月にボストンは招致を撤回したのである(そしてアメリカオリンピック委員会は代わりにロサンゼルスを選出する)。

 その後、ボストンの「成功」に触発され、各地で招致反対運動が生まれる。No Boston Olympicsの発足人の一人であるクリストファー・デンプシーとアンドリュー・ジンバリストは、共著No Boston Olympics: How and Why Smart Cities Are Passing on the Torchでこう述べている。

 

五輪招致に反対する他の都市の人々は、ボストンの招致反対運動が展開した戦略から学ぶことに関心を寄せた。トロントが2024年大会の招致を検討するようになったので、同市の草の根グループがNo Boston Olympicsに接触してきた(最終的に、世論の支持を得ることは難しいと判断し、トロント市長は招致を断念した)。ブダペストとローマの招致反対者は、それぞれの都市で反対運動を始めるにあたり、No Boston Olympicsにアドバイスを求めた。10月にはデンプシーとゴセット〔No Boston Olympicsメンバー〕が、ハンブルクの招致反対者に招待され同地を訪れた。同様にジンバリストはトロント市議と会合を持ち、ハンブルクのハーフェンシティ大学に招待され、オリンピック開催の経済的影響について講演したのである。4(注4)Chris Dempsey and Andrew Zimbalist, No Boston Olympics: How and Why Smart Cities Are Passing on the Torch, 2017, University Press of New England.

 

 その後ハンブルクでは2015年11月に住民投票が実施され、オリンピック招致に「Nein」が突きつけられた(賛成48.4%、反対51.6%)。ローマでは「五つ星運動」のヴィルジニア・ラッジが五輪招致撤回をかがけて2016年の市長選に出馬し、当選後に公約を守った。ブダペストではMomentumというグループが2017年2月までに住民投票を求める署名を266,151筆集めた。その結果を受けてブダペスト市長は住民投票を行うことなく招致撤回を決定する。

 ここにおいてパリへの言及が一切存在しないのは、デンプシーとジンバリストによる恣意的な記述漏れではない。パリでも2015年にNon aux JO 2024 à Paris(2024年オリンピックのパリでの開催反対)というグループが生まれているのだが、このメンバーがNo Boston Olympicsに初めて連絡を取るのは、2017年も8月になってからのこと(つまりパリ五輪決定後)なのである(No Boston Olympics: How and Why Smart Cities Are Passng on the Torch の発売は2017年5月)。
 Non aux JO 2024 à Parisは政治活動歴のない個人が作ったFacebookページを発端としており、当初から活動を継続し、盛り上げていく力量は極めて限定的であった。そしてパリにおいては、2016年はおろか2017年になっても五輪に反対する機運は一向に盛り上がらなかったのである。パリ五輪招致委員会がリマへと向かう前に五輪開催がとうに決まり、イダルゴが大根演技を披露した背後には、パリでは五輪に抵抗する勢力が他都市と比べて極めて弱かった、という事情があったのだ。
 一例として、ブダペストで招致撤回を実現させた住民投票を求める署名を取り上げよう。Non aux JO 2024 à Parisも同じ趣旨の署名運動を行なったのだが、組織票が見込める政党や労組、名の通ったNGOの協力を得ることはできず、結果、2017年6月の時点でブダペストの一割に満たない20,600筆しか集められなかったのである5(注5)https://www.france24.com/fr/20170624-paris-JO-2024-opposants-budget-hidalgo-CIO-ecologie-critiques。リマでの総会当日には、当時オリンピック関連施設の建設が噂されていたベルシー公園で抗議集会が行われたが、悪天候のためもあり、『ル・パリジャン』の報道によれば「50人前後」しか集まらなかった6(注6)
https://www.leparisien.fr/paris-75/paris-75012/paris-les-anti-jo-donnent-deja-de-la-voix-13-09-2017-7258446.php

 なぜパリでは五輪招致に反対する動きが盛り上がらなかったのか? そして開催決定後も数年間、五輪に反対する動きがほとんど見られなかったのはなぜか? たとえば招致反対運動においてはパリ同様遅れをとったロサンゼルスには、2017年にNOlympics LAというグループが生まれ着実な活動を積み重ねている(NOlympics LAの成り立ちと彼らが果たした貢献については、ジュールズ・ボイコフ著『オリンピック 反対する側の論理――東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動』〔作品社、2021年〕が詳しい)。 パリでは、少なくとも2020年まで、そのような展開も見られなかった。それはなぜか? こうした問いはフランスのジャーナリストもたびたび提起しているのだが、説得力のある答えは現在のところ出ていない。本連載はこの難問に、部分的にでも答えていこうとする試みである。

 筆者は2007年からパリ市に居住しており、2016年秋に先述のNon aux JO 2024 à Parisに加わった。その後いくども軽〜中度のバーンアウトを経験し、またその他の事情で短期・中期的に離脱することはあったものの、基本的に過去5年間、継続的にパリにおける反五輪活動に関与してきた。その間、特にフランス国内において協力者が一向に増えなかった最初の4年間では、嫌な思いしかしていない(だからバーンアウトにもなる)。しかし私が味わった「嫌な思い」は、何も私の人格に絡む個人的な要素(だけ)で構成されているわけではない。ある政党や労組、その他団体やはたまた個人がパリ五輪あるいは五輪全般に反対する活動への協力を拒む際、そこには多くの場合整合的かつ広く共有されている論理がある。それらは2010年代後半に諸条件が重なってたまたまフランスにおいて顕著となったものの、フランス固有の現象というわけでもない。事実、この作業においては幾度となく2012年のロンドン五輪が参照されることになるだろう。

 本連載の第1回では、揃いも揃って五輪支持に回ったフランスの左派政党(社会党、共産党、緑の党、不服従のフランス)、第2回ではメディア、第3回では大学をはじめとする研究機関およびそうした機関に所属する書き手の仕事を流通させる出版社、第4回では非営利団体や市民団体を取り上げていく予定である。ここまでは本連載のタイトルとは裏腹に、「五輪に反対する側に反対する」際にフランスの文脈で持ち出された論理の分析に力が入れられる。その後はコロナ禍以降に出てきた新しい動きを取り上げ、第5回ではオリンピックプール建設によって破壊される労働者菜園の占拠活動に集った気候活動家と「ザディスト(Zadistes)」、第6回ではオリンピックに伴う治安維持強化への抵抗を扱う予定である。

 私は長らく、フランスにおける反五輪活動およびそれにまつわる困難について、日本語で報告することに意義を見出せずにいた。理由は単純で、東京五輪の後でパリ五輪が開催されるからである。この順序が逆であったなら、もっと早くから自身の活動をこまめにリアルタイムで日本語で紹介していたと思う。けれども実際には28年大会がロサンゼルス、32年大会がブリスベンであるため、パリ五輪に反対する活動の総括はいずれ英語でまとめる必要があるだろう、と考えていたのだ。

 その心境に変化が生まれたのは、札幌市による30年冬季五輪招致活動のためである。札幌市は当初26年大会の招致を目指していたが、2018年の北海道地震により断念した。その後、日本はパンデミックの最中に無観客で夏季五輪を強行するという暴挙に出たため、世界でもっともオリンピックが嫌われる国となった。こうした流れの中で札幌市が30年冬季五輪の招致活動を継続するとは想像もしていなかったのだが、事実は私の貧しい想像力をはるかに凌駕し、2021年11月現在、札幌市長は絶賛招致活動継続中なのである。さらに10月末にフランスでは、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏の議長である右派の大物政治家、ローラン・ヴォキエが30年冬季大会招致への意欲を表明するに至った。他都市に数年遅れで招致への関心を見せたヴォキエの真意は2034年大会にあり、現時点での招致意欲表明は観測気球ではないか、と私は疑っている。

 札幌にせよオーヴェルニュ=ローヌ=アルプにせよ、招致関係者に諦めさせるには質量ともに充実した批判と行動が必要であろう。私見では、東京五輪を経た後の日本は、国際的に見てずば抜けてオリンピック批判が充実した国となっている。IOCの構造的問題がこれほど広く共有されている国は世界中どこにもないだろう(トーマス・バッハの顔と名前が一致するフランス人なんて1%もいないはずだ)。
 しかしこれほどまでの問題意識の高まりにも関わらず、五輪への反対を表明する街頭示威行動に最大時でも1,000人程しか集まらなかったという事実も厳然として残る。開催1ヶ月を切って署名活動を始めた文化人たちはそれでアリバイを作れたと思っているようだが、このタイミングでそんなことしかできなかった非力を恥じるべきであって、開き直ったり威張ったりしている場合ではない。あれほど東京五輪への反発が高まったのに、札幌市長が恐怖を覚えることなく招致活動をやっていられるのはなぜか。他方、フランスでは2021年になって直接行動こそ見られるようになったものの、議論の遅れを挽回するにはメダル圏内アスリート並みの超人的努力が必要とされる厳しい状況にある。

 とはいえパリ五輪が2年半後に迫っているフランスでは状況は流動的であり、連載の間に書かれている内容が古くなる(例えば批判の俎上に載せられる団体が態度を変えるなどの)可能性は十分に考えられる。けれども、2030年冬季五輪の開催都市が2年後に決定するという文脈において、パリ五輪をめぐる状況を日本語で共有していくことは極めて緊急性の高い作業であると思われるのだ。われわれはIOCの息の根を止めたい。そのためのもっとも確実な、かつ長期的に考えて十分に実現可能と思われる方法は、開催希望都市をゼロとすることだ。武器は粗雑であっても多いにこしたことはないだろう。本連載は、上述のタイムリミットを意識して反五輪闘争に寄与することを目指す政治的行為であり、拙速な仕事となる点については読者諸氏のお許しをいただきたい。

 

著者紹介

佐々木夏子(ささき なつこ)

翻訳業。2007年よりフランス在住。立教大学大学院文学研究科博士前期課程修了。訳書にエリザベス・ラッシュ『海がやってくる――気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか』(河出書房新社、2021年)、共訳書にデヴィッド・グレーバー「負債論――貨幣と暴力の5000年』(以文社、2016年)など。