荒廃地のエコロジー

──人新世のごみ投棄場に生じたアンドメスティケーションとマルチスピーシーズ的利益

 

 

 

コリン・ホアグ

フィリポ・ベルトーニ

ニルス・ブバント

 

秋吉康晴、増田展大、松谷容作 訳

 

 

 

訳者解題

 

 本論考は、Colin Hoag, Filippo Bertoni and Nils Bubandt, “Wasteland Ecologies: Undomestication and Multispecies Gains on an Anthropocene Dumping Ground,”Journal of Ethnobiology 38: 1 (2018): 88-104の日本語訳である。
 著者のホアグ、ベルトーニ、ブバントは「オーフス大学人新世研究(Aarhus University Research on the Anthropocene)」のメンバーであり、本論考はその研究成果のひとつとして発表された。「AURA」という略称で知られるこの研究チームは、デンマーク国立研究財団の資金援助のもと、2013年から2018年までオーフス大学を拠点に運営された共同研究プロジェクトである。チームの代表は『マツタケ──不確定な時代を生きる術』(赤嶺淳訳、みすず書房、2019年゠原著2015年)で話題になったアナ・チンであり、メンバーの大半はチンと同じく文化人類学を専門とする研究者で構成されていた。本論考の責任著者であるブバントはもともとインドネシアの精霊信仰を主なフィールドとする研究者であるが、AURAの創設以降は民族誌の視野を生物界へと広げることを試みている。

 

 本論考が掲載された『民族生物学』第38巻第1号の特集は、AURAプロジェクトの集大成とも言えるものであり、メンバーの論考が複数掲載されている。なかでもチンとブバントによる巻頭文(“Feral Dynamics of Post-Industrial Ruin: An Introduction”)は、本論考の根底にあるAURAの学術的関心を集約するものなので、その一部をごく簡単に紹介しておきたい(本論考で「本号」所収として参照されている他の文献については、本誌が掲載されたBioOneのウェブサイトを参照されたい)。
 AURAが共同研究のフィールドとして選んだのは、デンマークのスビューという自治体にある旧褐炭鉱(Søby Brunkulslejer)である。この土地は炭素燃料の消費が加速した20世紀半ばに国内のエネルギー産業の中核を占めたものの、1970年代に衰退して以降は、荒廃した産業汚染地域として認識されるようになった。それゆえに、この地域には埋立地が設置され、自治体の廃棄物を引き受ける「ごみ捨て場」へと転換された。その後、行政の認識が再び変化したことで、自然・文化遺産として認定され、あるいはリサイクルという新しい経済的好機が見いだされるなど、産業や制度とともに変貌を遂げた歴史を有する。そうした歴史の顛末についてはブバントらが解説しているので割愛するが、要するにスビューとはいわゆる「人新世」を象徴する荒廃地のひとつであり、近代資本主義の暴力的な痕跡が目に見えるかたちで刻み込まれ、堆積している場所である。

 

 ただし、AURAの面々は人間の身勝手な「自然破壊」をただ悲嘆するために、この土地をフィールドとして選んだわけではない。むしろ、彼らが注目したのは、そこでたまさか生じつつある新しい生態系である。
 特集のタイトルにもなっているように、チンとブバントはそれを「手に負えないダイナミクス(feral dynamics)」と表現している。ここで「手に負えない」と訳した”feral”は、手つかずの「野生(wild)」とは対照的に、栽培や飼育から逃れた逸出種──彼らはそれらを「雑草生物(weeds)」と呼称している──を指す形容詞であり、人為を超えて増殖する生命の力動性を意味している。つまり、この語は最初から文明の外部にあるものとして素朴に想定される「自然」というより、他の種を計画的に管理しようとする人間と、その思惑をときに裏切り、あるいは自らの生存のために流用している非人間たちとの交渉やせめぎ合いのプロセスを指す。
 AURAプロジェクトとは、そうした「手に負えないダイナミクス」に注意を向けることで、荒廃の象徴としての廃棄物処理場を複数の種にとっての生存の場として積極的にとらえなおそうとする意欲的な試みであったとひとまず要約できるだろう。

 

 こうしたプロジェクトの主旨を踏まえるなら、AURAのなかでの本論考の役割はスビューで生じている「手に負えないダイナミクス」を具体的に例証することにあった。本論考でフィールド調査に基づいて描写されているのは、人間の経済活動と非人間の生存活動とが絶妙なバランスで釣り合いながら共生関係をぎりぎり成立させているような事例群である。
 具体的に言えば、スビューで廃棄物処理場を運営する人間たちと、大小さまざまな非人間たち(シカやオオカミ、メタン生成微生物、堆肥化微生物など)が取り上げられ、その集まりが「アッセンブリッジ(assemblage)」——アナ・チンであれば「相関作用の構造を前提としない存在の集合」(前掲書、38-39頁)として定義するもの——として検証されていく。
 どの事例でも、非人間たちは必ずしも人間の計画どおりに管理されているとは限らず、それでいて双方のあいだに意図されざる連帯関係が生まれているのが興味深い。著者たちはそうした独特な関係性を「アンドメスティケーション(undomestication)」と呼ぶ。これは日本語で動物の家畜化や植物の栽培化を意味する「ドメスティケーション(domestication)」に否定の接頭辞を付した造語である。
 ただし本論考では単にドメスティケーションの否定を意味するというより、人間と非人間との支配と被支配の関係を「打ち消す(undo)」ことで新たな関係性を開くという意味も込められている。したがって、この概念は「手に負えないダイナミクス」を言い換えたものと考えて差し支えないだろう。

 

 ここに付け加えるなら、著者たちはさまざまな人文知を参照しつつ、そうした異種間の絡まり合いを言い表そうともしている。
 たとえば、経済人類学(「限界=周縁利益」)、社会ネットワーク理論(「弱いつながりの強さ」)、ラカン派精神分析(「外密」)など、さまざまな分野の概念や議論が縦横無尽に引かれるため、翻訳においては混乱する場面も少なくなかった。いささか不用意ではないかと思われる箇所もあるが、「人間を超えた(more-than-human)」関係性に向けて人文知を開こうとする弛まぬ努力の跡が見られることは、本論考において目を見張るべき点のひとつである。
 さらに、以下で列挙される事例の数々が、細かな理論上の疑念を払拭するに余りある説得力を持っていることも書き添えておきたい。「共生」というテーマはともすれば理想論にもなりかねない難題だが、彼らは人新世という危機的状況が新たな共生関係を考える好機にもなりうることを具体的かつ魅力的に例証してみせている。これは本論考の最大の特長と言っていいだろう。
 なお、タイトルにある「エコロジー(ecology)」は本文中で「生態(学)」や「生態環境」として訳出したが、その環境意識にまつわる語感と人為的に荒廃した土地との歪な組み合わせを強調するため、論文のタイトル(と関連する箇所)ではカナ表記している。原語の表記が必要と判断した場合は[]に示し、訳註は〔〕で示した。また、参考文献にあるURLのうち、リンク切れのものや明らかな誤りは、2022年3月1日時点でアクセス可能なものに変更して〔*〕を付した。

 

 翻訳の作業は訳者3名が分担して下訳を共有し、検討を重ねつつ最終的に全体を通して訳語の調整をおこなった。示唆に富む論文を翻訳する機会とともに、訳文に適切なアドバイスをくださった奥野克巳氏、また研究会で貴重な意見を共有してくださった四方幸子氏と齋藤帆奈氏に記して感謝申し上げる。なお、この翻訳は科研費(21H00495)の成果の一部である。

訳者一同

 

 

要 旨

 デンマークの中央ユランに位置する地域で、いまや自然・文化遺産として保護されているスビューにはかつての褐炭鉱があり、その西端には目障りな公共の建物が土の山や柵の影に隠されている。AFLDファスターホルトという名で知られる廃棄物処理・リサイクル施設がそれである。AFLDファスターホルトの廃棄物リサイクル施設は、採掘地域の全体が汚染された荒廃地であるという認識が広まった1970年代に設立され、EUの廃棄物管理規則のみならず、その地域内で予期せず増殖した非人間の生命に応答するかたちで変化してきた。本論はこの場所──EU内で構成された福祉国家の心臓部にある人新世の景観──のフィールド研究に基づき、荒廃地をめぐるマルチスピーシーズ民族誌と政治生態学[political ecology]に寄与するものである。私たちが主張するのは、「廃棄物」とは複数の種が共存し、生政治にかかわる偶発事──象徴、政治、生物学、テクノロジーの複合的な歴史──であるということだ。本論では民族誌的なフィールドワーク、社会史、野生生物の観察、空間分析を組み合わせることで、私たちが「アンドメスティケーション[undomestication]」と呼ぶもの、つまりは人間の企図が、人間を超えた[more than human]生命の形態によって種や政治、資源、テクノロジーの目新しいアセンブリーへと再編成されるあり方をたどる。本論が主張するのは、荒廃した景観がマルチスピーシーズによる予期せぬ協働の結果であるということであり、そのような協働は、マルチスピーシーズ的な形態をとった「利益形成[gain-making]」に対して、つまりは人間とその他の種が差異を最大限に活用して経済的かつ生態的な好機を見出す方法に対して、民族誌的に注意を払うことで経験的に明らかにすることができるのである。

キーワード:マルチスピーシーズ人類学、廃棄物管理、限界゠周縁利益[marginal gains]、荒廃地化[wastelanding]

 
 
 
 
 序 論

 人新世[注1]の環境をめぐる言説においては、多くの論者が人間によってひどく撹乱された場所で生態学上の機能と多様性が広範囲に喪失したことを当然のごとく悲観し、多様な種の生存のための機会が減少しつつあることに危機感を示してきた(Barnosky et al. 2011; Rose 2012; Shine 2010; Steffen et al. 2007; Svenning et al. 2016)。こうした破壊や環境の衰退があるにもかかわらず、一部の種はどのようにして生存しているのか。本論において私たちは、人新世に出現しつつある生態環境としての荒廃地を検証することで、その問いに応答していきたい(Kirksey 2015; Fiege 1999)。本論で主張するのは、そのような環境において複数の種のあいだに生じる協働が「アンドメスティケーション[undomestication]」と私たちが呼ぶ関係のなかで編成されるだろうということである。ドメスティケーションをめぐる慣習的な考え方に囚われた人間中心主義を乗り越える社会科学と自然科学の新たなアプローチ(Haraway 2008〔ハラウェイ 2013〕; Hare and Woods 2013; Scott 2017〔スコット 2019〕; Shipman 2011〔シップマン 2013〕)から着想を得て、私たちは以下のことを提起する。すなわちアンドメスティケーションとは、人間によるドメスティケーションを構成する特定の諸部分が非人間的な種によって流用されるか、もしくは打ち消されるプロセスを記述したものであり、そのプロセスは人間と非人間の相互依存という目新しく互いに自律した関係を創り出すようなやり方によって進められるのである。

 私たちが提案するのは、こうして人間と非人間とが互いに依存し合うアレンジメントが、民族誌的、政治学的、生態学的にたどることのできる「限界゠周縁利益[marginal gain]」を介して可能になるということである。「限界゠周縁利益」とはジェーン・ガイヤー(Guyer 2004)が展開した分析用語であり、西アフリカの人びとがいかにして金融上の利益を得る機会を生み出しているか、そのために自国と外国、非資本家と資本家の双方からなる多様な経済文化のあいだの乖離を創造的に利用しているかを説明している。私たちはこのガイヤーの概念(Guyer 2004)を借用することで、人新世において人間が非人間に加えている搾取から生じる、ときとして思いもよらない生産的な関係を理解するための糸口を得ている。それゆえに、植民地の世界と資本家の世界における利益形成が単一の論理によって支配されるわけではない(Bear et al. 2015も参照)のと同じく、人新世の荒廃したマルチスピーシーズ的な景観における利益形成もまた、資本の論理もしくは西洋的な人間の論理によって限定されることはないのである(Kirksey and Helmreich 2010〔カークセイ、ヘルムライヒ 2017〕)。

 マルチスピーシーズ的利益形成という概念は、非人間的な種が、人間の資本主義的な利益形成という重層的に決定された景観のなかに生態上の活動の余地を見出すやり方を登記しようとするものである(Fiege 1999; Wilson 2010も参照)。私たちはマルチスピーシーズ的な限界゠周縁利益がその用語の二重の意味で「限界゠周縁的〔マージナル〕」であると主張したい。つまり、それらの利益は小さい(たとえ、その多くがニッチを切り開き、生計を立てるには十分な大きさであるにせよ)という意味で「限界的」であり、またそれらの利益が生じる人間や資本のプロジェクトのなかではしばしば周辺に位置するという意味で「周縁的」なのである。

 本論で私たちが探求するのは、デンマークの中央ユランにあり、AFLDファスターホルトと呼ばれる埋立式からリサイクル式へと変更された施設、いわば人新世の荒廃地におけるマルチスピーシーズ的な限界゠周縁利益である。私たちがその投棄場で観察するマルチスピーシーズ的な利益形成の限界゠周縁性は、北米の郊外にある刈り込まれ、化学薬品を散布された芝生で観察できる限界゠周縁的な類の利益と似通っている(Robbins 2007)。この芝生の景観に関する政治生態学[political ecology]を把握するために、ポール・ロビンスは「他のアクターに利用されるとしてもなお、みずからの規則に従いつつ、社会政治的な状況を利用する自律的なものとしての芝生」(Robbins 2007: 13)について理解を育まなければならないと提案する。ロビンスの批判的な政治生態学が提案するのは、人びとが芝生を作るのと同様に、芝生が人びとを作るということである。ロビンスと同様に、私たちが関心を抱くのは、マルチスピーシーズ的な利益と歴史的な意図の欠如とが織りなすポリティクスを強調するような政治生態学である。芝生や人新世のその他の景観(Fiege 1999; Robbins 2012も参照)と同様に、荒廃した景観はアンドメスティケーションをめぐるそのようなポリティクスで満ちているのだ。

 人新世の荒廃地におけるアンドメスティケーションの政治生態学を探求しながら、私たちは廃棄物について新たに出現しつつある学際研究にも後押しされている(Gille 2007; Hawkins 2006; Reno 2014, 2015, 2016)。とくにそれは、資本主義から生まれた埋立地や荒廃地で生活する「ごみをあさる動物」やその他の非人間たちについての研究である(Nagy and Johnston 2013; Zahara and Hird 2015)。よく知られるようにウィリアム・クロノン(Cronon 1995)が都市部の歩道や庭園、投棄場などを事例とする「間違った自然[wrong nature]」の荒廃ぶりに学問的な注意を向けるよう求めてから数十年来、廃棄物は社会科学や環境科学における多くの研究で注目されてきた。廃棄物に関するこの新しい批判的な科学研究は、処分されるものや望まれないものの分類上の区別や物理的な排除を乗り越えて、廃棄物の意味や歴史、帰結における根本的な異種混淆性に注意を向けるようになったのである。廃棄物は、人間による象徴的な分類、経済的な好機、生態学上の重要課題である(Reno 2015: 558)のと同じく、それ自体でひとつの生命世界でもあるのだ(Reno 2014)。私たちはジョシュア・レノ(Reno 2014)に従いつつ、以下のように提案する。すなわち、廃棄物の研究が焦点を当てるべきは、いかにして廃棄物が人間と非人間に強い影響を与え、その両者「にとって意味をなす」のかということだけではない。いかにして廃棄物のその後の生が、他のあらゆる近代的な破滅の形態と同じように、生態や歴史における人間を超えた関係のなかに出現しているのかということでもあるのだ(Hird 2012も参照)。廃棄物とは共存する複数の種による産物であり、人間の労働やテクノロジー、経済、そして想像力の働きによるものであるのと同様に、むしゃむしゃと食し、分解し、ゲップを出す生き物たちの働きによるものでもある。

 本論で私たちはAFLDファスターホルトでの「アンドメスティケーション」を、人間とアカシカ(Cervus elaphus)、人間とメタン生成微生物、人間と堆肥化微生物のあいだで検証する。私たちはさまざまな方法を用いてAFLDでの3つの事例研究を検証し、そのすべてがアンドメスティケーションの例であると提案したい。第一に、それらの事例はすべてマルチスピーシーズ的関係であるが、その関係はテクノロジーによって媒介され、認識論的に「不透明」である。第二に、3つの事例はいずれもドメスティケーションにかかわる何らかの特性や装置の再流用によって特徴づけられており、そうした再流用は利益形成の人間的な形態もしくは非人間的な形態によって駆動されつつも、人間を超えた社会性という新たな予期せぬ関係を作り出すようなやり方によるものである。

 私たちは中央ユラン地域の景観に生じるアンドメスティケーションを吟味することで、世界のいかにも人為発生的な場所でさえ、想像されるよりもはるかに人間の支配下には置かれていないという皮肉を強調するような政治生態学の研究を補おうとしている。ポール・ロビンスによって研究された芝生(Robbins 2007)、あるいはマーク・フィーゲによって研究されたアイダホのジャガイモ畑(Fiege 1999)と同様に、ファスターホルトにある細やかに管理された廃棄物処理施設は、予期せぬ非人間的なエージェンシーで溢れている。私たちが提案するのは、この場所で人間がおこなう管理と非人間的なエージェンシーとの関係性が、制御や決定、あるいはドメスティケーションによるものではないということ、つまり非人間的なエージェンシーが人間の管理しようとする意志に屈するような関係性ではないということである。また両者の関係性は、非人間が人間に対立したり、抵抗したりする関係性でもない。そうではなく廃棄物処理場とその主要な経済的な事業、そしてそれに付随する特性は、アンドメスティケーションという人間と非人間との関係──つまりは人間のドメスティケーションや制御を超えており、ほとんどの場合に気づかれていない関係──で溢れかえっているのである。

 

 

調査対象地:荒廃地化させられた投棄場

 1979年、「東部貯蔵所(Østdeponi)」と呼ばれる公営の投棄場が、スビューの旧褐炭採掘場の西外れに設立された(図1参照)。当時のデンマークで59カ所を数えた公営の処理場(Miljøministeriet 1983)のひとつである東部貯蔵所は、中央ユランをまたがり、今日ではおよそ30万人あまりの人口を抱える6つの地方自治体から家庭廃棄物と産業廃棄物を受け入れていた。1979年に施設が設立されたこと(また1982年にそれが飛灰処分地域を含むよう拡張されたこと)は、地元の褐炭産業のせいで数十年にわたり評判が落ち続けていたスビュー周辺地域の価値が行政機関の信頼を最大限に回復した証となった。1930年代末から1970年代初頭のあいだに褐炭を採取したことで、かつては平坦であった低木林や農地は、高さ30メートルほどの砂丘(tipper)が平行に走る荒廃地へと変容した。デンマークという発展途上にあった福祉国家のなかでも砂だらけで水浸しの場所、つまりは不毛な周辺地域で育った人びとは、その場所を「月のような景観」あるいは「巨大な砂場」と表現する。スビューは荒廃地になってしまっていたのだ。この投棄場の景観のなかには古い洗濯機や掃除機、またその他の廃棄された消費財が、この荒廃地化の物質的な痕跡としていまだに見つかる。

 私たちは「荒廃地化[wastelanding]」という概念をトレイシー・ヴォイルズ(Voyles 2015)から借用している。彼女がナバホの土地におけるウラン採掘に関する研究のなかで論証するように、ある地域を「空っぽ」で「非生産的」として定義する文化的なプロジェクトは、搾取という政治的かつ産業的なプロジェクトと密接に絡み合っている。スビューの場合には「平静」な福祉国家が、ヴォイルズの説明する北米の事例での環境レイシズムと近しい関係にある(Voyles 2015)。中央ユランにおいて、スビューは無益でポスト産業的な景観として文化的に理解されており、このことが荒廃地としてのその評判を確固たるものにする法律の制定への道を用意したのである。たとえば金属表面処理工場のように汚染を引き起こす産業は、その地域で開業する認可を与えられた。環境省が2009年におこなった報告は、当時の考えを以下のように記している。

 

その地域での廃棄物の貯蔵は正当なものとして評価された。地下水や湖水、河川水は、数十年にわたる褐炭の採鉱によって生じた化学物質ですでに重篤に汚染されていたからである(Miljøcenter Aarhus 2009: 7)。

 

 スビューという地域を荒廃地へと変容させる際、褐炭は副次的な役割も果たした。投棄場の近隣一帯でおこなわれた褐炭採掘は、象徴的な面からも分類的な面からも廃棄物にふさわしい景観を生み出した。その一方で、東部貯蔵所の地下に未採掘のまま広がる褐炭層とそのなかにいくつも重なる粘土層は、皮肉ではあるが、毒素や重金属が投棄場から周辺コミュニティの飲料用となる地下帯水層へ流出するのを防ぐうえで、費用効果の高い天然の防衛ラインになるとみなされた。それゆえ、褐炭採掘は概念としての荒廃地を公然のものとし、東部貯蔵所の投棄場を想像可能なものにしていったのだが、褐炭それ自体は投棄場の土を倫理と生態の両面において包み込む「安全」膜を提供していたのである。これと同じ考えは北米のコンテクストにおける民族誌的な研究のなかで説明されている(Reno 2016)。

 投棄場の歴史をより広範な景観の歴史のなかに位置づけるとき、荒廃地について重要なことが明らかになるだろう。すなわち、ある景観での物質゠記号的な生産をめぐる具体的な歴史の数々は、いかにして投棄場が倫理的かつ環境論的な例外地帯──モダニティの副産物が視界から隠されてしまうような場所──になるのかを理解するうえで欠かせないということである(Gordillo 2014)。「廃棄すること」とは、荒廃地をめぐる認識と実践とのこのような絡まり合いを説明する言葉なのかもしれない。褐炭は、燃料のなかでも「汚く[dirty]」低い地位にあるものに分類され、土[dirt]と廃棄物──ユダヤ゠キリスト教と植民地の長き系譜を持つ概念(Anderson 1995; Hird and Zahara 2017)──が中心を占める独自の空間゠象徴的秩序の編成に寄与した(Douglas 1966〔ダグラス 2009〕も参照)。と同時に、褐炭が産業と廃棄物の管理運営にとっての支柱となることで(Reno 2014)、この二重の荒廃地、つまりはすでに汚染された地域にさらなる汚染を招き寄せる荒廃地にとってのインフラと生態環境が築き上げられたのである。

 しかし、この廃棄物の景観のなかでは、人間による破壊と環境例外主義以上のことが進行していた。このことを理解するために、私たちはその景観の非人間たちに目を向ける必要がある。というのも、1970年代の採掘期以降に生まれたこの景観のあちこちで、菌根菌の胞子がコントルタマツ(Pinus contorta)の根と共生的なつながりを形成しはじめたからである(本号所収のGan and Tsing参照)。このマツは北米から輸入されたものだが、砂だらけの環境という栄養に乏しい条件のなかでも繁茂する力を持つことからデンマーク語で「砂丘松」(klitfyr)という名前を授けられた。植生の範囲が人間の計画や予想を超えて広がるにつれて、月のような景観は徐々に、密集はしているが地質学的には不安定な松林へと変貌した。森とともに鹿がやってきて、鹿とともに狼と狩猟者がやってきた。

 人間による撹乱がマルチスピーシーズの活動を掻き回した結果として、スビューの地域は20年から30年のうちに不毛な荒廃地から松林が波打つ景観へと移行した。その地域が今度は人間による一連の想像を掻き立て、自治体がレクリエーションや自然保護を夢見る場所になったのである。1970年代以降に政府がおこなってきた報告とは驚くほど対照的に、スビューは今日、「ヘアニング市のなかで最も美しくまたエキサイティングな景観のひとつ」 (Schaldemose 2007)として説明され、「東部貯蔵所」という廃棄物処理場の地位を大々的にみなおす計画が着実に進められている。こうして荒廃地が意図も監視もほとんど及ばないまま「自然」の景観へと驚くべき変容を遂げたことは、2007年に旧褐炭採掘場が自然・文化遺産の保護区として宣言された時点で法的に認知されることになった。いまや過去の廃棄物は重要な文化遺産へと地位を変え、AFLDの廃棄物処理施設から北に1キロメートル足らずの場所にある褐炭博物館で収集・展示されている。

 この法的に再生された自然の外れで、東部貯蔵所は2000年代初頭までには財政難に陥っていた。その後、新しい「自然」の景観が東部貯蔵所の周りに発見されるとともに、EU規則の構造が変化し、そのことが「廃棄物」をめぐる新しい経済的好機をもたらした。これらに応えるかたちで、東部貯蔵所を「低稼働の廃棄物処理場」に転換し、段階的に閉鎖する手続きを進めていくことが決定された(Miljøcenter Aarhus 2009: 7)。有機的な廃棄物で作られたかつてのごみ山は、土壌で覆うなどの工事を施され、レクリエーション施設や旧褐炭区域の展望台に変えることや、あるいはもっと野心的な場合には、すでに却下されたが人工スキー場のゲレンデにすることが計画されていた。こう言ってよければ、スビューは人新世に溢れかえるポスト産業的な「ブラウンフィールド」の一例であり、そこでは部分的に非人間の活動が引き金となって生じた生産的な好機に応じて、人間がその場所をどうにか定義しなおそうとする努力が積み重ねられてきたのである。そうした異種混淆的な景観のなかで、限界゠周縁利益は形成されることになる。

図1 東部貯蔵所/AFLDファスターホルトの航空写真[注2]

 

方 法

 私たちが検討したのは、スビューの投棄場に生じたアンドメスティケーションに関する3つの事例である。第一の事例は、アカシカの世界と人間の世界とのあいだの緩やかでいて予期せぬ関係であり、第二の事例は、埋立地の配管システムによって媒介されたメタン生成微生物の代謝と人間とのあいだの関係、そして最後の事例は、AFLDファスターホルトの堆肥化施設における土壌の生物相と人間とのあいだの媒介関係である。これらの事例を研究するにあたり、私たちは景観を観察し、書き留めるための連続企画として博物学的散策を実施した。またAFLDファスターホルトの周辺地域で、アカシカの狩猟をしている近隣の土地所有者たちにインタビューをおこなった。さらに、廃棄物とそれが生み出すメタンを管理する責任者である施設のスタッフにもインタビューと観察をおこなった。そして、この土地の景観の特徴を図示するために──しばしば情報提供者の協力のもと──その描画を制作した。

 

 

アンドメスティケーション1:アカシカによる利益形成

 かつては投棄場であり、現在はリサイクル施設となっているこの場所の周囲を歩いていると、アカシカ(Cervus elephus)の小路がいやおうなく目に入ってくる。廃棄物処理施設の砂地を縦横に駆け巡りながら、アカシカが頻繁に行き交うこの「交通路」のネットワークはけもの道で描かれた地図であり、投棄場に出入りしたりそこを横切ったりするシカの活動や移動についての手がかりを提供してくれる(図2参照)。アカシカが投棄場の西側の土山を越えてこの場所を横切り、北側や東側の柵や開いた門を抜けていく軌跡は、この荒廃した地域のマルチスピーシーズ的な景観へと向かう私たちのガイドでもある。

図2 AFLDファスターホルトの敷地内と周辺でのアカシカの足跡(フィリポ・ベルトーニ作成)

 

 一見すると、AFLDファスターホルトを横切るアカシカの軌跡は、あまりにも複雑かつランダムなものであるため、パターンを持たないようにみえる。だが、2016年と2017年に私たちが数度にわたるフィールド調査で訪れた際におこなったように、これらの足跡をたどっていくと、それらがマルチスピーシーズの生態的かつ政治的な歴史によって構造化されていることが明らかとなる。第一にアカシカの経路は、人為発生的な荒廃地の地勢へと雨や侵食によって運び込まれた栄養物や水、汚染物質の流れを追うものであり、その流れが草やキノコ、雑草、灌木や樹木を形成するために、場所によってはシカが隠れたり食料をあさったり集団活動をすることができるようになる。AFLDファスターホルトの所有地の中心部にあり、今は放棄されているごみ山は、自治体の文書が「やや汚染された」と形容するような(Miljøcenter Aarhus 2009)硝酸塩を多く含んだ表土に覆われている。この土壌はアザミなどの硝酸塩を好む植物の生育地となり、それが隣接する旧褐炭鉱からダマジカ(Dama dama)やノロジカ(Capreolus capreolus)、そしてアカシカを惹き寄せる。この意味においてアカシカの経路は、旧埋立地に生じた硝酸塩を好む植生、つまりはAFLDファスターホルトによって意図せぬままにドメスティケートされた植生へと通じるけもの道なのである──私たちとしてはそれを「アンドメスティケートされた」と呼ぶことにしたい。

 第二に、シカの経路は複数の捕食者を巻き込んだ「恐怖の景観」(Brown et al. 1999)の痕跡である。アカシカの個体数が増加するのに惹き寄せられて、近年ではドイツからハイイロオオカミ(Canis lupus)が、スビューをはじめとする中央ユランの他の場所にも到達した(Steiner 2015)。これはハイイロオオカミがデンマークの景観から姿を消した1813年以来、初めてのことであった。人間の狩猟者もまた、この恐怖の景観に寄与している。狩猟者とアカシカは、種やスケールを横断する関係性、つまりは他者への想像力豊かな気づきへと高度に適応した関係性において景観を作り出しているのである。それゆえ狩猟者たちはすぐに、アカシカが好んで投棄場の敷地を横切ることに気づくようになった。彼らはすでに投棄場の周囲の土地を買い上げており、北端と東端の外周部分の柵に沿って狩猟用の隠れ場所を設置していたことも判明した。だが、アカシカはAFLDファスターホルトの所有地にいる限り、比較的安全である。デンマークの法律は工業地帯や居住区域での狩猟を禁じているため、AFLDファスターホルトの荒廃した地域は周囲の所有地とは異なり、狩猟が活発な土地ではないのである。

 自治体の投棄場の法的な地位が人間という捕食者を締め出すのと同様に、その日々の活動による騒音もまた、概して警戒心の強いオオカミを遠ざけることになり、そのことがアカシカには縄張りのための「空間の取りあい」(Muhly et al. 2011)において有利に作用している。AFLDの従業員のなかには狩猟者もいるが、彼らは皆、アカシカが他のどんな被食動物よりも賢いとするデンマークの狩猟者のあいだでの一般的な見解を共有しており、アカシカはあえて処理施設の土地に避難所を求めているに違いないと感じている。早朝と夕方には埋立地に開かれた放牧地を、日中にはその外側にある閉鎖林のあいだを行き交いながら、アカシカはスビュー地域の法的かつ生態学的な異種混淆性を都合よく利用しているかのようである。この意味において、投棄場の敷地内──そこでは従業員たちがシカの生態とはほぼ無関係に、販売用に作りなおされる廃材をあちこちへと運んでいる──をアカシカが大量に行き交う様子は、狩猟者やオオカミからの避難所が人為的に形成された結果とみなすことができるだろう。

 しかし、この戦術がどの程度までつねに完全な成功を収めるのかという問いは開かれたままである。2014年に私たちは、ノロジカの後ろ足から採取した唾液中にハイイロオオカミのDNAの証拠を発見した。この標本はAFLDファスターホルトの旧埋立地の頂上付近で見つかったものであった。旧埋立地の硝酸塩を多く含む土壌からアザミが、そのアザミからシカが「限界゠周縁利益」を得ようとするように、オオカミもまた、狩猟者にライフルの照準を向けられるとしても、投棄場のシカから「限界゠周縁利益」を得ようとするのである。

 狩猟圧の変化や狩猟のさまざまな技法に応じてアカシカが行動を変えることはよく知られた事実である(Jarnemo and Wikenros 2014; Jayakody et al. 2008)。クマなどの哺乳類と同様に、アカシカはまるで自分たちが狩猟されていることを知っているかのようである(Ordiz 2012)。それゆえアカシカの行動は、狩猟者や彼らの世界に対する想像力豊かな気づきの痕跡でもある(本号所収のForssman and Root-Bernsteinも参照)。私たちは、アカシカが狩猟の活発な土地を避けるかのように投棄場を大量に行き交うのが、単にオオカミの新たな出現や狩猟方法の変化だけでなく、狩猟に関する法律や所有地の境界のことを知り、それらに反応しているからであると提案したい。投棄場の土地にある狩猟用の隠れ家や通行可能な柵は、デンマークの地籍調査機関によって引かれた法的所有地の境界線とアカシカの移動によって引かれた狩猟区域とのあいだを連結するインフラとなっている。アカシカは投棄場のなかに避難所と通路を探し求めつつ、狩猟[hunting]の景観と投棄[dumping]の景観との差異から限界゠周縁利益を引き出すのである。投棄場の従業員が私たちに話すには、運営部が周辺の柵の門を開けたままにして、彼らと緊張関係にある周囲の狩猟者をわざと苛立たせるようにしているとのことであった[注3]

 この人間どうしの緊張関係は、恐怖の景観とのやりとりのなかでアカシカによる利益形成のための土台へと作り変えられる。この利益形成は、アンドメスティケーションという関係性において偶発的に生じるものである。今日、スビューの景観を覆い尽くすコントルタマツは、数十年前におこなわれた林業試験からの「雑草のごとき逃亡者[weedy escapee]」である。アカシカもまた同様に、ドメスティケーションからの逃亡者である。デンマークでは大物狩りの象徴として君臨する「野生の」アカシカの一部は、柵で囲われた王室領や国有林における準ドメスティケーションに由来する子孫であるからだ(Naturstyrelsen 2012)。「雑草のごとき」マツとアカシカは、スビューの旧褐炭鉱でアンドメスティケーションという関係性を形成している。つまり、マツやアカシカの「野生的」な社会性とは、両者が被ったドメスティケーションの歴史の結果として、ほとんど意図されず、監視も制御もされないままに生じたものなのである。

 

 

アンドメスティケーション2:メタンを搾乳する

 前世紀から莫大な変化を被ってきたにもかかわらず、AFLDファスターホルトという場所は、訪問者がリサイクル用プラントで埋立地の過去に近づくことをいまだに許している。この施設の最も際立つ特徴は実際の埋立地である──50メートルにも及ぶ高さの丘で、それ以外が平坦な地域のなかでいまでは最も高い地点となっている。ここには総量約250万トンの廃棄物が埋まっており、1979年から1993年に投棄された有機性の家庭廃棄物と、2009年までにここに投棄された雑多な非有機性の廃棄物とが混ざり合っている。その埋立地は今日、硝酸塩を大量に含む表土に生育する草や菌類、アザミに覆われている。そして複数のパイプがその地面から突き出している──これはEU法の規則に従い、丘の内部で微生物が廃棄物を分解したことにより発生したメタンガスを吸い取るための換気用の配管である。その内部で微生物による分解が続くにつれて、丘は毎年、数センチメートルずつ沈下している。

 埋立地は、メタンや二酸化炭素を主成分とする無数の気体からなる混合物を放出しており、その大半は有機性の廃棄物を微生物が分解したことによるものである。ごみ山から生じるメタンは、大気中に放出される人間由来のメタンのなかでも最大の発生源のひとつとなっており、現在では自然に放出される量のほぼ二倍になっている。廃棄物の埋立に関する理事会指令(Council of the European Union 1999/31/EC)と、続く2002年に追加された埋立地ガス管理指針(Council of the European Union 2002)は、埋立地から発生した温室効果ガスの集積と移出入の管理を加盟国に義務づけている。

 AFLDファスターホルトのいわば鍛造工であるペアは、EU規則を遵守するという仕事に従事し、現在では放棄されている埋立地の深部から抽出されるメタンの監視や最適化を進めている[注4]。ペアがメタン抽出の施設に設置したポンプや配管、フィルターによる入り組んだシステムは、彼なりの修繕仕事で次々と浮上する問題にあれこれの対応策や継ぎ接ぎを施した結果である。AFLDファスターホルトの埋立地で50個の通気口と約3キロメートルのパイプからなるその複雑なシステムは、1990年代初頭にはじまって以来、大部分がペアによって組み立てられ維持されてきたものであり、EU規則の変化や投棄場の状況に対応して継続的に最適化されなくてはならない。迷路のような配管は、メタンを集めて近郊の街アンボーへと送り民家を暖めるか、この国で最大のエネルギー企業であるデンマーク石油・天然ガス(DONG〔Dansk Olie og Naturgasの略称〕)へと送り電力設備の動力を提供している。

 ペアにとって最大の懸念は水である──具体的には、メタンの配管からそれをどうやって排出し続けるかということだ。これは時間が経つにつれて大きな問題となる。メタンの生産──埋立地にある有機性の原料を微生物や菌類が分解したことによる副産物──は、10年から20年後に収益性がなくなるまで徐々に減り続け、最終的には100年ほどで完全に止まってしまう。埋立地の設置から30年以上が経過した現在、メタンの放出は減少しはじめているが、その生産レベルを維持するために、ペアは地下の配管システムの減圧を産業基準の二倍以上に引き上げる必要がある。

 減圧レベルの継続的な上昇にあわせて排水を続けるため、ペアは新しく、しばしば独創的なやり方で工夫を続けなくてはならない。メタンの配管から排水を続けるための彼の創作物──そのすべてが規格品ではない──は、10を超える別個の珍妙な仕掛けからなる。彼による実に巧妙な発明のひとつは、配管システムに搾乳ポンプを応用したものであった。近隣の農場で乳業の技術を目にしたペアは、搾乳機が牛乳から空気を分離するためのものであることに気づくと、その機械が逆のことを、つまりはメタンガスから液体の水を分離することができるはずだと思いついた。彼による搾乳機の転用は、私たちがアンドメスティケーションと呼ぶものの最適な事例のひとつである(図3)。牛のドメスティケーションというグローバル複合体に由来する装置のひとつがメタンの生産へと配置を転換されるとき、それはマルチスピーシーズ的な社会性のより野生的な形態を、つまりは単純化や親密さや制御よりも、増殖や場当たり的な集合体によって特徴づけられる社会性をもたらすのである。

図3 水とメタンを分離するための搾乳装置(著者による撮影)

 

 ペアがその作業を進めるのに、メタンを代謝の副産物として実際に放出する古細菌や細菌について理解している必要はない。私たちが提案したいのは、埋立地におけるメタン生成微生物のアッセンブリッジに対するペアの関係が、マルチスピーシーズ的な世界を横断する結びつきとして、緩やかでそれと認識されておらずとも社会的に重要であるということなのである。実際、彼の設置した配管のなかのメタンがどこから来ているのかをペアに尋ねたとき、最初の答えは「廃棄物だ」というものであった。何度か詮索していると、彼は「廃棄物のなかの動物たちだ」と述べ、3度目の問いかけでは私たちの執拗さに苛立ちながらも「もちろん細菌だろう」と述べた。微生物の世界に対するペアの無関心ぶりは、実に職務的なものである。ペアが自分の仕事を有効に進めるために微生物に配慮する必要はない。職務上、配慮に欠けているのはペアだけではない。埋立地のメタンが地球温暖化の要因になっていることの重大さにもかかわらず、生物分解性廃棄物をメタンに変換する4つの複合的段階(加水分解、酸の発生、酢酸の発生、メタンの発生)を担う微生物、つまりは細菌とメタン生成古細菌と菌類のコミュニティどうしの共生関係についてはあまり知られていないのである。実際、分子研究と遺伝子同定技法の高速化が進んだことで、特定地域の埋立地に群生するメタン生成の細菌と古細菌との隠れたアッセンブリッジが解明されはじめたのは、ごく最近になってからのことである(Song et al. 2015)。

 ペアの世界は、細菌や菌類、古細菌とともに種として共存する世界ではないし、彼なりの民族゠生物学において、これらの微生物という家畜生物を「細菌」として一括りにすることも職務上、理にかなったことである。というのもペアの世界は、配管やポンプ、計器、バルブ、多岐管からなる世界であり、そうしたインフラは、メタンを生産する細菌について知識がなくとも、温室効果ガスによる収益が減っていく状況から限界゠周縁利益を得ようとするからである。配管とバルブからなるこのシステムは、メタンを製品つまりは市場の資源とする政治生態学に接続されていると同時に、それによって形成されている──その政治生態学の大部分はもっぱらメタンへの配慮[caring]によって作動し、それを生産する微視的な細菌や古細菌のことをまったく配慮していない。ペアによる、その場しのぎのインフラと絶え間ない修繕仕事とは、気体状の物質(空気とメタン)について懸念した結果であり、そのような懸念のおかげでペアは、有毒なごみ山から生じる温室効果ガスを「グリーン」エネルギーの資源や収益源に変換することができている。しかしながら、ペアはそのガスを埋立地の下で生産する微生物の世界のことを配慮していない(し、その必要もない)。この微生物世界に対するペアの関係は、媒介によって成り立つ関係なのである。

 ブリシェとハストロプが指摘するように(本号所収)、資源とは発見されるものではない。資源とは独自の政治経済の一部として作り出され、発明されなくてはならないものなのだ。スビューの過去で言えば、不毛な荒野と褐炭は、特定の歴史の節目で近代風の修繕仕事〔採掘作業のこと〕を通じて「天然の資源」へと作り変えられた。インフラに対するペアの修繕仕事もまた同様であり、それは新たな千年紀にEUの他の場所と同じく「ポスト廃棄物」をめぐる夢の時代へと突入したスビューで、メタンを資源へと作り変えるものであった。そこでは環境破壊や気候変動についての懸念が一連の規制につながり、それらの規制が埋立地の廃棄物のことを、せいぜい投棄の体制によって押し隠されるだけの「悪い」廃棄物から両義的な「良い」廃棄物へ、そしてエネルギーの政治経済における商機へと変容させたのである(Alexander and Reno 2014)。アンドメスティケーションとは、配管が張り巡らされた埋立地で微生物たちが廃棄物の生物学的な成分を分解し、その副産物としてメタンを生産しているような状況のことである。アンドメスティケーションとはまた、ペアが配管とポンプからなる迷路のようなインフラによって、資源としてのメタンの継続的な抽出を確実なものにしようとする様態のことでもある。ペアは私たちに、彼のポンプや、水を分離する多岐管が動かなくなるまであと4、5年ほどは埋立地からメタンを抽出できそうだと告げた。その頃には埋立地のメタンはもはや、発展性のある資源ではなくなっていることだろう。

 

 

アンドメスティケーション3:廃棄物の堆肥化

 AFLDファスターホルトの従業員たちは、別の類似した利益形成のプロジェクトにおいても、上記とは異なる微生物のアッセンブリッジに対してアンドメスティケーションという媒介関係を維持している。そうしたプロジェクトのひとつが堆肥化である。かつては自治体の投棄場であったAFLDファスターホルトはいまや、廃棄物のグローバルな循環のなかで小規模特化型の中継基地となっている。AFLDファスターホルトの活動と設計は、ポスト廃棄物の新しいグローバル経済を反映している。廃棄物という資本主義市場の副産物を市場に巻き込んで処理しようとするその試みは、資本主義があやつる魔法という皮肉な一例である。その魔法によって資本主義は廃棄物をみずからの論理のなかに書き込みなおし、問題に対処しようとしているのだ(Pignarre and Stengers 2011)。AFLDファスターホルトは、この資本主義的な論理という機械を動かす歯車のひとつである。それはつまり、EU法に従って分類された原料を限界゠周縁利益のために運搬可能にする一時的な中継基地である。たとえば、AFLDファスターホルトで分類された後、非含浸性木材の廃棄物は、配向性ストランドボードにプレス加工する目的でドイツに売却されるのに対し、ポリ塩化ビニルとプラスチックは、造粒加工して転売できるように圧縮してから中国に売却される。一方で、各地の家庭廃棄物はもはや埋立地には投棄されていない。その代わりに家庭ごみは、エスビャウにある最先端の焼却施設で分別された後、焼却されている。これは2003年に当時流行の建築会社フリース&モルトケが設計した施設であり、現在8000軒の民家に熱を送り届けている。

 廃棄物はデンマークで「良い趣味」の範疇に入ったと言う人もいるだろう──それは1979年にスビューの埋立地を設置する動機となった「捨てて忘れてしまおう [dump it and forget it]」という態度とは根本的に異なるものである。投棄が問題視されて以降は焼却処理の重点化が進んでいたが、それも廃棄物が資源としての姿を纏ったことにより転機を迎えようとしている。というのも、ダウンサイクルの新しい美学と経済において、燃やすことは棄てることと等しく「不経済[wasteful]」だからである──このことは一人あたりの廃棄量と焼却量が他のEU諸国よりも多いデンマークではとくに問題となっている(Winttrup 2013)。Alexander and Reno (2014)が示すように、廃棄物の焼却は問題含みの実践である。なぜなら、焼却は二酸化炭素の排出をもたらし、たとえばバイオマス消化槽のような、より気候に優しい別の選択肢を妨げてしまうからである。そのため、デンマークはここ数年のあいだにEU規則のなかでもとくに2008年のEU廃棄物枠組み指令(Council of the European Union 2008)に後押しされるかたちで、家庭廃棄物と産業廃棄物の両方に対して焼却よりもリサイクルを優先するという意欲的な計画に着手した。2013年の基本計画がそう名づけられているように、「廃棄物のないデンマーク[Denmark Without Waste]」計画は、電子機器の75パーセント、家庭の庭園から出る廃棄物の25パーセント、有機性廃棄物の60パーセント、そして産業から出るプラスチック・金属・紙の70パーセントを2022年までにリサイクルし、再利用することをめざしている(Miljøstyrelsen 2013)。この方針をより効果的なリサイクルに向けて転換するためには、廃棄物の取り扱いを制度的に再整備する必要があった。東部貯蔵所を管轄する自治体は、2016年にこの施設をタルムの廃棄物管理施設と合併することを決定した。現在では「AFLDタルム」と呼ばれているタルムの施設が、継続して紙のリサイクルに特化することになったのに対し、東部貯蔵所──AFLDファスターホルトと改名された施設──は、プラスチックと木材の堆肥化を担当することになった。

 AFLDファスターホルトは、堆肥化の技術を誇りとしている。この場所の北端にある堆肥施設は、毎年100トンを超える木材を庭園や公園から受け入れ、処理することができる。AFLDの土地を視察する際には、私たちも何度も経験したことだが、蒸気をあげる巨大な堆肥の山のかたわらを歩くことになる。その横ではブルドーザーがつねに轟音をあげながら走り、堆積物を手入れしては混ぜ返す作業をおこなっている(図4)。堆肥化処理の最終製品である腐葉土は、林業者や私有農園の所有者に対して土壌改良材として販売される。埋立地でのメタン処理の場合と同様に、分解が堆肥化処理の中核を占めている。しかし、堆肥化の主要なアクターは、別の微生物のコミュニティである。つまり、好気性の細菌や菌類、そして線形動物やミミズといったより大きな生物のコミュニティであり、これは埋立地にいる主として嫌気性の細菌や古細菌からなる世界とは異なる(Partanen et al. 2010)。堆肥化は概して3つの段階の処理を必要とし、それぞれの段階では温度の上下変動に応じて、異なる微生物のアッセンブリッジが優勢になる(Waksman et al. 1939)。最初の段階では中温菌が優勢であるが、温度が上がるにつれて好熱菌と放線菌がそれに取って代わる。最後に堆肥化処理の最終段階では、中温菌、菌類、カビ、ミミズが腐葉土の処理を完成させる。

 AFLDの従業員と機材は、堆肥化処理を助ける仕事をしている。日常的に3台のブルドーザーが作業をおこない、堆肥の山に空気を入れるために混ぜ返したり、選別機に運んだりしている。また、選別機は原料をふるいにかけ、粗い原料から細かい原料を分離している。そして、その浸出液は、EU規則に従い、いくつも並ぶ蒸発用のため池に集められている。

 堆肥もまた、アンドメスティケーションという関係において生産される。堆肥の山は内部の温度が上昇するにつれて、霧状のガスと熱をたえまなく放出する。堆肥場の従業員の一人であるモアテンによれば、その温度は摂氏70度を優に超えることもある。モアテンと彼の同僚の仕事は、堆肥化処理のうち第二の好熱性の段階のあいだ、高温を維持することである。雑草の種やイベリア半島原産の外来ナメクジ(Arion vulgaris)の卵は摂氏70度で死滅するとされているからだ。たとえばナメクジのように、雑草やごみを食べる動物は、腐葉土という製品の最終消費者として想定される園芸家の目からすれば害虫である。ナメクジのいない腐葉土だけが製品になりうるのである。堆肥の空気を入れ替える時間になると、ブルドーザーの操縦士たちは、先端に温度計をとりつけた長さ1メートルの金属棒で堆肥の山を突き、持ち上げる。こうして彼らは細菌を生産するという最小限の努力でナメクジを根絶しようとするのである。

図4 AFLDファスターホルトにある堆肥の山から生じた熱霧(著者による撮影)

 

 各サイクルの終わりが温度の低下によって判断されると、原料はふるいにかけられてから次の段階に移される。それゆえ堆肥場とは、しだいに細かく、しだいに冷たくなっていくセルロースの山々が連なる景観である。そして、数百メートル先の埋立地で働くペアと同様、堆肥化の作業員たちは、代謝の副産物として温度を上昇させる生き物たちのことをほとんど知らず、配慮もしていないが、それによって彼らは堆肥化を可能にする生命世界の変化を生物工学化しているのである。ペアにとってのパイプと計器は、モアテンにとっての温度計である。メタンの搾乳と同様、堆肥化はアンドメスティケーションという関係において限界゠周縁利益を生み出している。そうした関係にある人間の世界と微生物の世界は、インフラとなる技術システムに媒介されているのではあるが、それによって微生物の生命世界は人間の知識や配慮、制御がほとんど及ばないところに居続けることができるのだ。

 

 

人新世における利益形成とアンドメスティケーション

 私たちがおこなった3つの事例研究は、いくつかの点で異なっている。アカシカがAFLDファスターホルトの運用にとって付随的な存在であるのに対し、細菌、古細菌、菌類はこの施設の主な経済活動のなかでもメタンの生産と堆肥化に欠かせない存在である。とはいえ、これら非人間のアクターは皆、この場所で働く人間の運営者、技師、技術者とアンドメスティケーションという関係のなかにある。ドメスティケーションを支配するとされる制御や親密という関係(Pierotti and Fogg 2017)とは異なり、アンドメスティケーションという関係は媒介されつつ「外密的[extimate]」なものであり、しばしばマルチスピーシーズ的な社会性の予期せぬ形態をもたらす。私たちは精神分析家ジャック・ラカンの「外密[extimacy]」という造語(Lacan 1992: 139〔ラカン 2002: 211〕)によって、距離と媒介を通して作られる関係論的な状況を意味している。それは「親密[intimacy]」という、近さを通して作られる状況とは対照をなすものである。たとえば、人間が微生物の生命から利益を形成するには、インフラをつねに修繕し続ける必要があるが、そうした修繕仕事は微生物の世界に対する直接的な気づきや接触あるいは制御をいっさい伴っていない。メタン生成微生物のアッセンブリッジとペアとの場当たり的な関係性に見られるのと同様に、AFLDファスターホルトでのメタン生産のプロセスにおいて、人間の世界と微生物の世界は外密的な関係によって結ばれているのである。

 私たちの試みは、人間の世界と非人間の世界のあいだのアンドメスティケーションという「外密的」な関係が帯びる重要性を明らかにしようとするものであり、これは古典的な社会学の議論を鏡写しにしたものである。その社会学の議論とは、弱いつながりが、各々の内部で緊密に結ばれた人間の社会集団どうしを架橋するように作用することで、重要でありながら無視されがちな社会性の形態を作り出すことがあるというものである(Granovetter 1973〔グラノヴェター 2006〕)。同様のやり方で私たちが提案するのは、人間の世界と非人間の世界のあいだのアンドメスティケーションという外密的な関係が、人為発生的な景観を作り出すうえで欠かせないということである。人間による荒廃地化の実践は、人間を超えた形態での利益形成を可能にしており、それが多くの場合は気づかれないままでありながらも景観に対して直接的かつ劇的な影響を与えている。かくして、人間がかたち作った地球上の数々の場所では、人為的な介入によって皮肉にも手に負えなくなった代謝がおこなわれているのである(Fiege 1999; Gandy 2014; Robbins 2007; Sandberg 2013)。私たちから見れば、AFLDファスターホルトは、人新世に数多くある荒廃地の一例である。そうした場所では、近代的なドメスティケーションが破滅と単純化の景観を作り出したが、増殖とアンドメスティケーションのマルチスピーシーズ的形態も作り出してきた。このことによってAFLDファスターホルトという場所は、利益形成のマルチスピーシーズ的形態およびアンドメスティケーションという関係の研究に応用しうる民族誌的、歴史的、生態学的な方法を探求するための実験場になる。そうした形態と関係こそが、人新世において最も管理された景観を特徴づけ、またその景観の大部分を作り出しているのだ。AFLDファスターホルトとは、そのような事例に他ならない。つまり、この人新世の景観を特徴づけるのは、北欧福祉国家の慈愛的な管理統制主義と、穏やかな黙示録であるにすぎない近代的撹乱のありふれた歴史との組み合わせなのである。

 現代の生態学理論は、撹乱とは本来的に「悪い」ものではないし、純粋な自然の空間を汚染された人工の空間に変えるものでもないことを強調する(Gunderson 2000)。むしろ撹乱は、人間を含む生物がその可能性と災禍に応答することでつねに形成されつつある世界を構成している。私たちの民族誌が撹乱を被った景観の政治生態学に貢献したとすれば、それは人間の世界と非人間の世界のあいだの「外密的」で、多くの場合には隠されている関係に注意を払う必要性を努めて強調しながら、弱いつながりの強さという社会学的な理論を人間を超えた複数の世界へと拡張したからである。ここまで例証してきたように、そうしたアンドメスティケーションという関係──人間と非人間のあいだのドメスティケーションを超えた、互いへの結びつきを持たない連関──は、撹乱を被った景観のなかに出現しつつある生態環境には欠かせないものである。私たちは利益形成が複数の異なる世界を横断する関係の重要な構成要素であるばかりか、社会科学と生態学の方法を利用しながら探求すべき重要な対象でもあると提案したい──もっとも、私たちは「利益[gain]」という言葉を、非・人間例外主義という広い意味で生の形成[life-making]を指すものとして理解している。

 利益形成およびアンドメスティケーションという関係は歴史的に形成される。だからこそ、私たちはそれらが荒廃地化(Voyles 2015)の特定の歴史からいかに立ち現れたのかをたどろうとした。褐炭産地と廃棄物管理施設は、荒廃地化のふたつの事例である。つまり、前者は化石燃料に依存する社会のための採掘場であり、後者は同じ社会から出る廃棄物のための貯蔵場である。AFLDファスターホルトでは、これらふたつの荒廃した景観が、資本主義、管理統制主義、マルチスピーシーズ的な技術゠生政治によって活性化された偶発的な歴史のプロセスのもとに統合されている。限界゠周縁利益──経済的かつ生態的な利益──は、人間と非人間が双方の世界をまたぐ差異をアンドメスティケーションという関係性において最大限に利用することによって形成される。人間による法律制定、森林管理、所有権、配管工事、修繕仕事は、荒廃地で増殖するマルチスピーシーズをドメスティケートしようとする試みかもしれないが、それが完全にうまくいくことは決してない。荒廃地のエコロジーは人為的な撹乱の結果であるが、そのマルチスピーシーズ的なアッセンブリッジからなる生命世界はそうした撹乱を超えてもいるからだ。この特殊な条件下でなされる利益形成の資本主義的な形態とマルチスピーシーズ的な形態の両方に注意を払うならば、人新世の民族生物学へと向かう新しい道が開けると私たちは提案したい。この民族生物学が光を当てるのは、アカシカの移動、微生物のアッセンブリッジによるメタンの放出、そして堆肥化をおこなう大小さまざまな生物群の熱であり、それらは単に生態学的な適応の結果であるだけでなく、アンドメスティケーションの指標でもある。つまりはマルチスピーシーズが人為発生的な変化に応答すると同時に、それを超え出てもいることを示す指標である。人新世における荒廃地の民族生物学にとって、マルチスピーシーズ的な利益形成およびアンドメスティケーションという関係は、人為的に発生した景観のなかで成功を収める生物もいれば、失敗に終わる生物もいるという一連の状況を描き出しているのである。

 

 

[1] 人新世という概念は比較的新しく、依然として定まっていないが(Swanson et al. 2015)、自然科学(Lewis and Maslin 2015; Steffen et al. 2007; Zalasiewicz et al. 2014)と社会科学(Grusin 2017; Haraway et al. 2016; Palsson et al. 2013; Tsing et al. 2017)のいずれにおいても異論が強く唱えられる概念である。私たちはここでその概念を人間的、資本主義的、近代的な拡張のプロジェクトが非人間の生命世界に与える最近の、歴史的にみても致命的な衝撃力に関する言説上の意味とその生態上の実情の双方を指し示すための発見的手法の装置として利用する。

[2] 出典: http://afld.dk/anlaeg-fasterholt.aspx.

[3] その緊張関係がどれほどのものかがわかったのは、私たちがAFLDファスターホルトでのシカの移動を監視する研究の一部として設置したカメラ・トラップが盗まれているのに気づいたときのことであった。

[4] 本節はジョン・ロウ(Law 2016)による同じ施設についての記述との対話のなかで記された。

 

 

謝辞

 初期の原稿に有益なコメントをいただいたブリュノ・ラトゥール、イザベル・スタンジェール、 ジョン・ロー、イェンス゠クリスチャン・スヴェニング、ケネス・オルウィ、ボ・フリッツブガー、 AURAチームの全員、および雑誌『民族生物学[Journal of Ethnobiology]』の編集者と二名の匿名査読者に感謝したい。また、オオカミの唾液をDNA鑑定するために協力してくれたピル・ビルケフェルト・ムラー・ペダーセンに感謝したい。このDNA鑑定を指揮してくれたのは、リゼロッテ・ウェスリー・アンダーセンである。この論文および AURA 全体の研究に対するデンマーク国立研究財団の資金援助に感謝する。

 

 

【引用参考文献】                                     

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著者プロフィール
コリン・ホアグ
スミス大学人類学科准教授。歴史生態学と政治人類学を交差させる視座で数多くの論文を発表している。単著となるFluvial Imagination: On Lesotho’s Water-Export Economy (University of California Press)が2022年秋に刊行予定。
https://www.smith.edu/academics/faculty/colin-hoag

フィリポ・ベルトーニ
フンボルト博物館助手。STSや人類学、科学史、科学哲学などの人文社会科学と、微生物の生態学などを中心とした自然科学とを横断した手法で、地球の生物地球化学的な衰退と物質記号的な構築に関心を寄せている。それらに関する数多くの論文を発表している。
https://mfn-berlin.academia.edu/FilippoBertoni

ニルス・ブバント
オーフス大学文化社会学部人類学科教授。本論文の責任著者。雑誌『Ethnos』共同編集長。著書にThe Empty Seashell: Witchcraft and Doubt on an Indonesian Island (Cornell University Press, 2014)、またアナ・チンらとの共編著にArts of Living on a Damaged Planet: Ghosts and Monsters of the Anthropocene (University of Minnesota Press, 2017)などがある。
https://pure.au.dk/portal/en/persons/nils-ole-bubandt(54cd6543-344a-462b-94d9-401711326190).html

訳者プロフィール
秋吉康晴
京都精華大学、非常勤講師。専門は美学・芸術学、音響メディア論。https://researchmap.jp/akiyoshi-
増田展大
九州大学大学院芸術工学研究院講師。専門は写真史・写真論、視覚文化論。https://researchmap.jp/masudanobuhiro
松谷容作
追手門学院大学社会学部教授。専門は美学・芸術学、映像メディア論。https://researchmap.jp/yosakumatsutani