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【韓国現代思想と運動の諸断面/第2回】

 

韓国における兵役拒否運動の現在

「本物」を求める国家に抗する

 

 

 

 

影本 剛

 

 

 

1、徴兵制と男性性

 2022年9月現在、世界的な人気を誇る韓国の音楽グループBTSの最年長メンバーの軍入隊期限が迫っていることが日本でも話題になっているが(期限は2022年末)、果たして韓国の徴兵制の問題を根本的に問い直すとはいかなることになるだろうか?
 本稿で問いたいのは、韓国国内で現在、いかなる問いが発せられているのか、ということだ。そのために、まずは徴兵制と男性性、そして徴兵制と社会の関係について簡単にスケッチしたい。

 徴兵制はまず、国家が男女を二分法的に規定し、さらに、正常な男性と正常ではない男性を区分する。また、社会は兵役帰りの男性を「一人前」ないしは「本物」と見なすことで、それ以外の存在を見下す。もちろん、韓国の憲法39条は「全ての国民は、法律の定めるところにより、国防の義務を負う」とあるので、男性のみが「国防の義務」を担っているとは言うことができない。また、韓国男性=軍隊経験者という考え方は、現実からかけ離れていることも認識せねばならなない。「あらゆるものが性別化された社会であるとはいえ、私たちが実際に男/女として認識する「本物の」男性と女性の範疇に入る人はかなり少ない」(チョン・ヒジン、2017、35‐36頁)。実際、「本物」のイメージを体現している人は韓国社会においてさほど多くはない。
 国家が規定する正常な男性、社会が規定する一人前の男を維持再生産するためには徴兵されない人々もその制度に協力、参加する必要がある。それなしには「本物の男とはこれである」というイメージを維持できない。軍が社会に根付くことは、軍の文化が社会に根付くことだ。つまり「正常な」、「一人前の」、「本物の」男性たちの絆が社会の常識になるということである。以下のような権仁淑(クォン・インスク)の分析はそれをありありと示す。

 

軍隊は、権力関係の優位にある者が権力の行使やコントロールの欲求をどのように処理するかを集団的に男たちに訓練する場でもある。そのような軍隊が存在する社会で、女性に対する性暴力を日常文化として頻繁に行使するのは、ある意味でいえば自然ですらある。職場内のセクハラで頻繁に登場する親近感の論理も、軍隊内の男性間性暴力を考えるならば、すでに学習されてきた部分であることがわかる。軍隊で階級を無視したセクハラがありえないのと同様に、女性職員が男性の上司をセクハラすることは不可能である。にもかかわらず、性暴力を親近感の表現として合理化してきた文化は、軍隊や社会で加害者中心の言語と意識が支配していることを見せてくれる。(権仁淑[山下英愛訳]2006、288頁)

 

 

2.兵役拒否者に対する国家弾圧

 本稿で検討したい兵役拒否運動は、まさしくここまで論じてきたような「正常な」、「一人前の」、「本物の」男性たちがつくりだす文化と生活に正面から反対する運動である。それゆえ強い反発を受けているが、それだけ社会に対する根本的な問題提起であるわけだ。

 韓国で歴史的に確認できる最初の兵役拒否の記録は1939年にさかのぼる。日本でエホバの証人信者が兵役拒否をしたさい、朝鮮人信者66名が逮捕されたという事件である。解放後、朝鮮戦争のさなかである1951年に徴兵制が「復活」し、1950年代はほとんどの年に脱走兵が一万人以上生じた(徴兵忌避率が毎年15%を超過していた)という。なお、かれらの存在は「犯罪者」として摘発された時のみ公式的に記録されるので、多くは記録されないわけであるが、「存在しない」わけではない。その後、1965年のベトナム派兵を拒んだキム・ドンヒ(金東希)が日本へ亡命しようとしたさい、日本政府は亡命を拒否、結局かれは1968年に朝鮮民主主義人民共和国へ送還された(その後の消息不明)。また、1976年には韓国において兵役資料が電算化され、取締りが強化された。以下のような報復的な重複処分を受ける場合もあった。

 

兵役拒否で懲役暮らしをし、出所した日に再び入営令状を発給されて兵役拒否をしたチョン・チュングクは、3度にわたり7年10カ月の刑務所暮らしをせねばならなかった。(イ・ヨンソク、2021、7頁)

維新時代には常識的ではないことが余りにも多かった。無理やり訓練所に引っ張って行って銃を掴ませ、しかし銃を使うことを拒否すれば殴打をした。このようにして命を失った兵役拒否者は、知られている事例だけでも5名だ。(イ・ヨンソク、2021、77頁)

 

 兵役拒否運動は2000年代に入り新しい局面を迎える。2001年、仏教徒であったオ・テヤンが、エホバの証人信者以外としては初めて公に兵役拒否を宣言したのだ。2000年に至る前、韓国で兵役拒否によって刑務所に収監された人は1万人に達していたが、オ・テヤンの問題提起をもって良心的兵役拒否は「社会的問題」として関心を持たれるようになった。2003年には現役軍人がイラク派兵に反対し休暇後に部隊復帰をしない形式で兵役拒否を宣言したが、後に逮捕され実刑1年6カ月の刑に服した(イ・ヨンソク、2021、54頁)。
 2004年に兵役拒否者の裁判で初めて一審無罪判決が出たが、2005年に憲法裁判所は良心的兵役拒否者に対する処罰は合憲と判決した。なお、憲法裁判所は2011年にも良心的兵役拒否者への処罰を合憲とする判決を下す。
 2007年に廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権が2009年から代替服務制度を導入するとしたが、2008年に李明博(イ・ミョンバク)政権はそれを全面白紙化した。

 2009年にカナダが韓国の兵役拒否者であるキム・ギョンファンを平和主義信念と同性愛志向を理由に難民認定し、韓国の兵役拒否者としては初めての亡命者が登場した。2012年にフランスがイ・イェダを仏教的背景と社会的迫害を理由に難民認定した。2013年にはオーストラリアがキム・インスを同性愛迫害を理由に難民認定した。このように韓国外に難民として受け入れられる兵役拒否者も生じているが、難民認定される場合は極めて少なく、ほとんどは性的マイノリティである場合である。
 2016年には光州地裁控訴部が、第二審として初めて兵役拒否者に無罪判決を出した。2017年には第一審での無罪判決が44件にのぼった。そのような中、2018年に兵役拒否をめぐる大きな転換点となる二つの判決が下される。

イ・ヨンソク『兵役拒否という問い(병역거부의 질문들)』五月の春、2021年(日本語版は2023年に以文社より『兵役拒否という問い(仮)』として刊行予定)

 

 

3.「本物の」兵役拒否者と「偽者の」兵役忌避
──2018年の二つの判決と代替服務制度をめぐる問い

 まず一つ目の判決を見てみよう。2018年6月28日、憲法裁判所は兵役の種類を規定する兵役法第5条に対し、代替服務制度が整備されていないために、兵役拒否者の「良心の自由」が侵害されてしまっているとして違憲判決を下した。これにより、韓国国会は2019年12月31日までに代替服務制度を導入する方向でこの条項を改定せねばならなくなった。一方、兵役法第88条第1項は「正当な事由」がある場合、兵役の延期や免除の可能性を担保しているが、この判決ではこの条項は憲法に違反しないと判断された。どういうことか?
 一言でいえば、代替服務制度は導入せねばならないが、正当な理由なき入営拒否者への処罰は合憲だということだ。つまり、裁判官たちは兵役法第88条第1項に違憲判決を下した場合、それを「悪用」して兵役を逃れようとする人びとが出てくる可能性があるために、その条項には手をつけず、兵役法第5条だけを問題にしたのである(イ・ヨンソク、2021、145頁)。
 ここに選別の論理が発生する。すなわち、「良心」をもつ(とされる)「本物」の「兵役拒否者」は代替服務制度の対象者になるが、「良心」をもたない(とされる)「偽物」の「兵役忌避者」は処罰の対象になるということだ。現在最もラディカルに韓国社会批判を展開している研究家であり活動家でもあるシム・アジョンはこの状況を以下のように指摘する。

 

正当な理由なき入営拒否、いわゆる「兵役忌避者」を処罰する条項は合憲という決定が下されたのだ。兵役拒否者の前に置かれた「良心的」という修辞は兵役忌避者の修飾語としては使用されない。良心的「兵役拒否」に対する論議の場の片隅で、「兵役忌避」の問題はそもそも議論の対象としてすら受け取られなかった。(シム・アジョン、2020、158頁)

 

 次に二つ目の判決である。今度は最高裁判所(大法院)がエホバの証人信者である兵役拒否者に対し「宗教的信念などの兵役拒否」が正当な事由に該当すると初めて判決を下した。ここでも新しい問題が登場したのであるが、それは最高裁の判決文という権威ある文章で、「何が良心」なのかが規定されたのだ。いかなる規定なのか見てみよう。

 

「本物の良心による兵役拒否であれば、これは兵役法88条第1項の「正当な事由」に該当する。/良心的兵役拒否においての良心は、その信念が深く、確固としていて、真実でなければならない。信念が深いということは、それが人の内面深くに位置づいているものとして、その者のあらゆる考えと行動に影響を及ぼすということを意味する。生の一部ではなく全部がその信念の影響力の下にあらねばならない。信念が確固としているというのは、それが流動的だとか可変的ではないということを意味し、必ず固定不変であらねばならないものではないが、その信念は明らかな実体を持つものとして、簡単には変わらないものでなければならない」(シム・アジョン、2020、160‐161頁から再引用)

 

 いかがだろうか。私が初めて一読した時のように、一体何を言っているのかよく分からないかもしれない。しかしこれは最高裁の判決文であるがゆえに、今後下級審で根拠として用いられる文書である。簡単にいえば、「本物の良心」を国家が判断でき、その根拠がこの文言だということになる。

 2018年の二つの判決は、良心的兵役拒否者に前科者になる刑務所ではなく代替服務という条件が生じたという意味で明らかに一つの前進であった。しかしそれに該当するためには、それ以前の兵役拒否運動では問われる対象でなかった「本物の良心をもつ」兵役拒否者になる必要が生じるのだ。さらにそれを判断するのは国家である。いわば、「忌避者」ではなく「拒否者」として国家に認めてもらうために自分の人生と思想を語らねばならなくなったのだ。

 その一つの現れとして、2019年11月、最高裁は20代の兵役拒否者に対して、「その者が今まで兵役拒否に対する信念を外部に表出する活動をした事実が全くない」という理由で、懲役刑を確定させている。また2021年2月にも、最高裁は二人の兵役拒否者に対して懲役刑を確定させた。最高裁が無罪を認定する場合が存在するようになったとはいえ、2019年11月と2021年2月のケースは「本物」と認められず、「偽物」つまり忌避者であるとされ実刑判決が下されたのだ。
 つまり刑務所行きをいとわないほど強い覚悟を持たなければ、「良心的」かどうかを判断される場にすら立てないのである。しかし私たちは、日常生活の中で「良心」とは何かと問う機会もないし、考え方はころころ変わるものではないだろうか。そもそも固定した意味での良心なるものが存在するのだろうか。兵役拒否者であり兵役拒否・反戦運動の活動家でもあるイ・ヨンソクは自らの「良心」について次のように述べる。

 

わたしの場合、揺るがないようなすごい平和主義信念ゆえに兵役を拒否したのではなく、兵役拒否を宣言してから、その名に合うように生きるために努力し、そうして平和主義という信念が良心として位置づくようになった。(イ・ヨンソク、2021、35頁)

じっさいわたしの良心は今でも揺らいでいる。ただ、いまではこの揺れがあまりにも当然で自然なのだということを理解したので、不安にならないだけだ。(イ・ヨンソク、2021、37頁)

 

 果たして代替服務の対象になる「本物の良心的兵役拒否者」なるものが存在しうるのだろうかと問うてみたい。考えてみれば、「本物の難民」だとか「本物のセクシュアル・マイノリティ」なる言葉は、「偽物の○○」を前提とし「偽物」を社会から排除する正当性を付与するためにいつも用いられてきたのではなかったか。2020年6月に出帆した代替服務審査委員会の審査過程について、イ・ヨンソクは難民審査の過程とあまりにも類似していると述べている(イ・ヨンソク、2021、165頁)。

 

 

4.ジェンダーから問う兵役拒否運動

 2018年の二つの判断以降、兵役業務を担当する兵務庁は兵役拒否者を新たに告発することはなくなった。しかし検察は、それ以前から裁判中であった兵役拒否者に対して徹底的に争う態度を変えなかった。検察は兵役拒否者に対し「光州民主抗争の時に市民が銃を取ったことをどう考えるのか」、「日本に侵略を受けたのはわが国の軍事力が弱かったからではないのか」、「まともな軍事力が無かったから「慰安婦」問題が生じたのではないか」などのケースをあげて、「それでも銃を取らないのか」と兵役拒否者を問い詰める。
 つまり、そのような状況においても暴力を拒否できる絶対的な非暴力のみを良心の基準にしようとする。しかしこれは、兵役拒否者である男性をふたたび「(味方を)守る側」へと、女性をはじめとする男性以外の存在を「(味方に)守ってもらう側」に設定している点で、問いの前提自体が非常に性差別的であるし、軍事文化をそのまま維持再生産する思考回路が下敷きになっている。

 兵役が「男らしさ」の表れになる社会において、拒否者は「男らしくない」と後ろ指をさされる。同時に、それこそが男性性から逃れる一つの方法である。ここで問いが発生する。2018年の二つの判決がもたらした「本物の兵役拒否者」は、幼いころから宗教的・思想的に堂々と兵役拒否の論理を体得してきた者であり、堂々と兵役拒否をすることができるという点で、これもまたひとつの男らしさではないのか。2018年の二つの判決を通して韓国国家は、堂々たる拒否者を代替服務へ送り、堂々たることができない忌避者を刑務所に送る前例をつくるかたちで兵役拒否の現場に介入したが、兵役拒否者の中にも「男らしい=本物」、「男らしくない=偽物」のヒエラルキーが存在してしまうのだ。

 兵役拒否運動は、その展開にともない、女性の役割は、拒否者をサポートする補助的なものではなく、まさに兵役拒否運動の中心に位置するものだという事実を発見していった。拒否者である「英雄」をささえる助力者としての女性という構図を反省的に自己批判していったのだ。再びイ・ヨンソクの言葉を引こう。

 

女性活動家たちは兵役拒否者たちが刑務所に行って運動に参加できないあいだにも、拒否者が出所後にそれぞれの生活を求めて去った後にも、代替服務制導入を含む兵役拒否運動が進んでいく方向を検討し、人々を集め、活動を企画し組織し続けた。マスコミではあたかも女性活動家の専有物であるかのように照らし出される受刑者支援活動は、活動家の無数の仕事のひとつであるだけだ。また女性活動家たちは兵役拒否運動に内在した男性中心性や家父長制から脱皮するために多くの努力をしてきた。〔中略〕韓国の兵役拒否運動は〔中略〕女性のリーダーシップを中心に引き継がれてきたという事実が、しっかり扱われねばならない。(イ・ヨンソク、2021、119頁)

 

 兵役拒否運動において女性が果たしてきた役割は、救援運動である。それは感情労働でありケア労働であり、そもそもそのような領域を女性に任せるという性役割のあり方は、外の社会とさほど変わらない。刑務所の中にいる人が、外とのつながりを維持することは、受刑者を孤立させる国家に対する正面からの抵抗であり、それは兵役拒否を宣言するのと等しい意味があるといえる。兵役拒否運動ではこの救援の役割を、長く女性たちが担ってきた。兵役拒否運動にかかわってきた女性たちは、この点を問うていった。そして、非男性もまたジェンダー化された社会において当事者として兵役拒否の宣言をするという事例も登場する。軍事文化が社会に蔓延しているのであれば、どうして兵役問題が男性だけの問題だということができるだろうか。非男性――女性、障害者、移民たち――を非正常として扱う韓国社会において、性別二分法や「正常/非正常」を維持強化する役割は、非男性もまた担わされているのだ。そこから離脱する宣言が、非男性による兵役拒否宣言なのだ。

 これまで韓国では宗教的、思想的、平和主義などによって兵役拒否が行われてきた。しかし考えてみれば菜食や工場制畜産反対などを理由にする兵役拒否も充分可能であるし、これから国家が予想だにしていない理由で兵役拒否は展開されていくだろう。兵役拒否者の存在それ自体は、市民を兵士にする軍事主義の失敗をあらわにするものだ(シム・アジョン、2020、141頁)。であるならば、国家に「本物」と認められない臆病者たちの兵役拒否は、国家の暴力に最も敵対するものになりうるであろう。

 

※本稿執筆のために森田和樹氏から助言をいただいたことを記して感謝します。なお本稿で幾度も参照されたイ・ヨンソク著『兵役拒否という問い(仮)』の日本語版は森田和樹訳で以文社より2023年に刊行予定である。

 

■文献
権仁淑(山下英愛訳)『韓国の軍事文化とジェンダー』御茶の水書房、2006年、。
ひょんみん(今政肇訳)「兵役拒否を悩む次世代へ──ひょんみんの兵役拒否所見書」『インパクション』174号、インパクト出版会、2010年。
朴相旭(インタビュー)「「私は臆病な兵役拒否者だ」軍事化された韓国社会への批判」『人民新聞』、1664号、2018年。
森田和樹「【研究ノート】1950年代韓国における「兵役法違反」裁判資料について」『評論・社会科学』134号、2020年。
イ・ヨンソク『兵役拒否という問い』五月の春、2021年(日本語版は2023年に以文社より『兵役拒否という問い(仮)』として刊行予定)。
シム・アジョン「「国民化」の暴力を拒絶する心――「難民化」メカイズムで照らす兵役拒否と移行を考えなおす」『難民、難民化する生』カルムリ、2020年。
チョン・ヒジン「両性平等に反対する」『両性平等に反対する』教養人、2017年。

著者紹介

影本剛(かげもと つよし)

大学非常勤講師。朝鮮文学専攻。
韓国での共著に『革命を書く』(ソミョン出版、2018)、『林和文学研究6』(ソミョン出版、2019)など。日本語への訳書に『不穏なるものたちの存在論』(李珍景著、インパクト出版会、2015)、『人、場所、歓待』(金賢京著、青土社、2020)。共訳書に『被害と加害のフェミニズム』(クォンキム・ヒョンヨン編、解放出版社、近刊)。韓国語への共訳書に『プロレタリア文学とその時代』(栗原幸夫著、ソミョン出版、2018)、『猪飼野詩集ほか』(金時鐘著、図書出版b、2019)など。